(国は何をどこまでやれるのか)

少し話が長くなりますが、この項で述べることは非常に大切なことなので是非読ん
で頂きたいと考えています。
国は何をどこまでやれるのかについては、何でもやれるというのが答えなのです。
やる、やらないは意志次第なのです。
国には民間企業のように制限された事業目的も、やってはならないタブーも無いの
です。  ただ国民の幸福を追求する権利を遵守するのが国家の役割なのです。
官僚はもっともらしい論理や既存の法律を持ち出して、「これこれこういう理由で
出来ない」とよく言うが、これは全くの間違いなのです。
それを行うことを国民が望み国民の幸福の追求に役立ち且つ国民が了解することは
「法律を改正してでも何でも出来るのです。」
それをエリートの理念や観念や既存の概念や法律で押さえつけては国民の望む方向
への進化発展は起こらないのです。
税の負担者である国民の了解さえあれば、国は何でも出来るのです。
国民の了解を知るには「真の世論の動向を注意深く見る必要があるのです」「自分
勝手な理念や観念などもってのほかの事なのです。」
逆に税の負担者である国民の了解が無ければ国は何もしてはいけないし、何も出来
ないのです。
現代ではもちろん憲法の制約はありますが、現代の憲法でさえ改正条項があるので
す。
さて日本は国際法に違反し事前に宣戦布告なしにアメリカのハワイ(真珠湾)攻撃
したのです。
平和主義者のイギリス首相チェンバレンは国民の不安を和らげるため戦争を回避す
ることだけを望み強気のヒットラーに譲歩を重ねヒットラーに書かせた幾多の誓約
書を全て反故にされ、ヒットラーの本当の野望に気付いた時はすでに遅くヨーロッ
パでヒットラーの侵略が始まり彼は退陣せざるを得なかったのです。
労働者が作った国であった共産主義国だった旧ソ連のスターリンは自国だけは戦争
に巻き込まれたくないため、他国のことを考えずこともあろうに自分たちとは主義
主張が正反対の反共軍事国家のヒットラーと東欧分割協定と独ソ不可侵条約を締結
し、さらにノモンハンで日本に勝利したのに拘らず当時の軍事反共国家日本と日ソ
不可侵条約を締結してしまいました。
このことがヒットラーに安心して全ヨーロッパを侵略出来る基盤を与え、日本が北
の守りに煩わされること無くアジア諸国に兵を進め、アメリカと対峙出来る基盤を
与えたのです。
「自国だけは戦争に巻き込まれたくない、自国だけは有利な立場でいたい」という
損得計算は理解できなくはありませんが、本来は正邪や善悪、適不適の判断を損得
計算に優先すべきだったのです。
しかし国は何でもありですから、これを締結してしまったのです。
このため北の守りに気を使う必要の無くなったヒットラーは安心してフランスに戦
いを挑み、日本はアメリカに戦いを挑んだわけであります。

すさまじい犠牲を払ったのですが、イギリスを除くフランスを含めた全ヨーロッパ
はヒットラーの手に落ちてしまったのです。
その後直ちにヒットラーは占領したフランス領から狭いドーバー海峡を挟んでイギ
リスに攻撃を仕掛けバトル・オブ・ブリテンの大空爆戦を開始したのです。
当時ヒットラーの策略に陥れられたイギリスの平和宰相チェンバレンは日独伊の枢
軸国との宥和政策で軍縮に力を注いだ結果イギリスの軍備は極めて弱小になってお
り、それを引き継いだチャーチルでも直ちにドイツと正面から戦えるほど軍備増強
は出来ていない状況だったのです。
しかもアメリカは母国イギリスが攻撃されているのに、国民・議会の7―8割参戦
反対だったため(これこそが国民の7−8割が反対なのに消費税導入を決定した日
本との決定的な違いです)、参戦の意志が強かったルーズベルト大統領でも民意を
尊重し参戦せず、イギリスへ武器を貸与するだけであったのであります。
この中立国アメリカがイギリスへ武器を貸与する行動を取ったのは「隣人の家が火
災にあって消火活動をしているときに、バケツやホースを貸してくれと言われて助
けない人がいるだろうか。」という論理だったのです。
当時のドイツ空軍の世界最強のメッサーシュミットBF109E(エミール)戦闘
機を中心とした独空軍2500機に対して最新鋭の英スビッツファイアー戦闘機を
中心とした700機で大空中戦を粘り強く戦うチャーチル率いるイギリス空軍にさ
しものヒットラーも手を焼き、この昭和15年7月10日から昭和15年10月1
2日までの3ヶ月間のバトルオブブリテンの大空戦に莫大な損害を出してドイツは
敗退し、とりあえずイギリス攻撃を諦め、何とこともあろうに昭和16年6月相互
不可侵条約の相手国ソ連へ条約を破って突然電撃攻撃を開始したのです。
国は何でも出来るということをスターリンは気づかず、自らを過信しヒットラーと
の東欧の分割協定と相互不可侵条約を結び安心してしまい対独防衛を怠ってしまっ
たという致命的なミスをしていたのです。
戦いの準備をしていなかったスターリンのソ連軍はあっと言う間に「モスクワ・レ
ニングラード線」まで敗退しここでようやく昭和16年の冬将軍を待って体勢を立
て直したのです。
この様にドイツが対イギリスやソ連ですら勝利するかどうか判明しない世界史的な
状況の中で、何故当時の日本のエリートが世界の最強国(現在は2倍程度であるが
当時のアメリカの国内総生産は当時の日本の10倍であると言われた。)でありヒ
ットラーが最も参戦を恐れていた中立国アメリカを突然襲うという危険を冒す判断
をしたのか、今となっては事実認識の誤りとしか言いようがありません。
(日本のアメリカに対する攻撃はドイツに対するアメリカの圧力を弱めるはずとの
ヒットラーの思惑もあったのかもしれないが)
破竹の勢いのドイツ軍ですら、狭いドーバー海峡を挟んだだけという防備の充分で
なかった島国のイギリス一国を攻め落とすことの難しさを、真珠湾攻撃の1年以上
も前に分かっていたのに「大東亜共栄圏」「神国、神風」「鬼畜米英」など「現状
認識を欠いた日本のエリートの理念・観念ばかりが優先される国家運営」を強行し、
経済的圧力を強めていたとは言え、中立を守っていたアメリカに対して戦争を開始
するという日本を破滅の道へ導いてしまう選択をしてしまったのです。
当時事実すばらしい性能であり零戦は航続距離は不可能に挑戦するかのように特に
長大であったが、その他の性能ではドイツのメッーサーシュミットBF109Eや
イギリスの初期のスピットファィアー戦闘機より少し優れた戦闘機と考えれば概ね
誤りが無く、ただ中立を守り兵器生産に全力を傾けていなかったアメリカの当時の
戦闘機と比べれば開戦後1年間位は確かに零戦の方が優れていたことは確かではあ
るが、兵器の進化は激しく本気に研究開発され生産され戦ううちにアメリカは零戦
より優れた戦闘機を次々と開発し大量生産していったのであります。
さてロンドン海軍軍備制限条約で日本の海軍はアメリカ、イギリスの6−7割程度
に抑えられており、1936年(昭和11年)に日本はこの条約からの離脱通告を
行いこの条約が失効し日本を含め各国は熾烈な軍拡競争を開始し、アメリカは19
40年(昭和15年5月)ルーズベルト大統領は議会に対して航空機年産5万機の
要求を提出しており、且つ同年9月にはなんと艦船210隻(ちなみに真珠湾攻撃
に出撃した当時世界で一二を争う日本連合艦隊の戦力は空母赤城以下31隻である。)
の建造計画が議会を通過しており、この情報は国民には知らされていないとしても
アメリカ議会の内容である以上日本のエリートの相当部分には、その情報は十分伝
わっていたはずと思っています。
そしてこの様な情報が充分に国民へ伝わっていれば、あのように誤った判断が下さ
れることは無かったと思っています。
ここにも厳格な国民一人一人の自由と平等なルールの必要性が痛感されるのです。
しかも当時世界最高水準の性能を持っていたとは言え零戦の開戦当時の総生産機数
つまり飛行できる零戦の数は550機足らず(なお大戦全期の3年9ヶ月間の零戦
の総生産機数は官民挙げて努力した結果、10、425機であるがアメリカの総生
産機数は更に比較にならないくらい膨大)であり、更に国内に残すべき数を差し引
くと開戦時戦地で実際に戦闘に参加できる零戦の実稼働機数は350機前後であっ
たことを考えると、その一年も前に行われた狭いドーバー海峡を挟んだバトル・オ
ブ・ブリテンにおいての英独の当時の世界最新鋭の700機対2500機の壮絶な
空戦においてさえ独ヒットラーはイギリス一国を敗北させることが出来なかったの
に、イギリスの5−6倍の工業生産力と広大な国土と資源を持ち真珠湾攻撃の2年
も前に年産5万機の航空機生産を計画し且つ将来の現実としてのヒットラーとの戦
いを念頭に置いて軍備を着々と整えつつあった中立を守っていたアメリカに奇襲攻
撃を掛けるという無謀な判断をしてしまう「日本の机上のエリートには常に正常な
判断を欠く異常な集団力学心理が働いてしまう傾向が強いという自戒を常に持つべ
きであり、それを避けるためにも国という独占組織内においては常にフェアーな自
由と対等で平等な権限を、現場を良く知るたたき上げの多くの国民と国会議員を含
めて保つべきと考えています。」(尚参考までに英スピットファイアー戦闘機の大
戦全期の総生産機数は20、075機であり、独メッサーシュミット戦闘機の総生
産機数は30、480機であります。)
なお日露戦争において世界の三大海戦の一つと言われている1905年の日本海海
戦において奇跡と言われてロシアのバルチック艦隊をうち破った明治維新以来幾多
の戦いの現場をくぐり抜けたたたき上げのエリートである東郷平八郎元帥の戦略は、
この戦いの前年に行われた黄海海戦においてロシア艦隊の大砲の発射速度が遅く、
アメリカの資金提供で日本が購入した当時の英国製の最新鋭軍艦に比べて三分の一
程度のスピードでしか速射が効かないことを発見するという科学的根拠のもとに、
彼我の戦力が拮抗しているからには「必ず勝てると確信し」「後は命中精度を高め
るだけと猛訓練を重ねた」ことが勝因であり、ある意味では「勝つべくして勝った
戦いだったのです。」
つまり戦いは事前に勝つべくして勝つことが大切であり、戦いであるからこそ勝つ
べくしても万一負けることもあるのであるから、勝つべくして勝つという科学的な
原理原則を重視しなければならず、「イチかバチか」とか「神仏まかせ」とか「勝
だろう」では戦いを行ってはならないのであります。
さて「民間組織には外部競争が働くため法律に違反しない限り組織内外において独
裁的経営でも、民主的経営でも全く問題は無いのです。」
それはこれらの組織が独裁的運営をしようとしまいと結果として国民や消費者がこ
の組織が悪ければ外部競争条件によって必ず淘汰してしまうからであります。
しかし構成員が組織を選べない国のような独占組織の場合、外部競争条件が働かな
いためこの様な運営方法は絶対に許されないことなのです。
したがって必ず独占組織では民間企業とは全く異なり内部競争条件を厳密に保った
運営が必要になるのです。

しかしながら現状日本の国家運営のやり方は小泉内閣で大きく改善されその進んで
いる方向は以前と様変わりでうれしい限りです。
しかし心配なのはそれが小泉総理一人の個性に止まっている点なのです。
是非とも国家運営費用の負担者と政策の受益者という自己回帰的な二重人格性を有
するバランスのとれた国民大衆の判断が国政に反映する基本ルールを進化ルール
(日本国憲法の趣旨)に則り制定改正することが日本国の経済と社会が進化する原
点になると確信しています。
必要なのは国民大衆に徹底した情報公開と縦から横から斜めから表から裏から真の
事実認識の機会を与え、「事実に基づき国民的議論を行い」その上で負担者と受益
者という自己回帰的な二重人格性を有するバランスのとれた国民大衆の意見や判断
を尊重する進化システムが働く政治経済構造にしなければならないのです。
それには国民の総和の意志に基づく国会議員の裁決によって国家運営を行なわなけ
ればならず政党や派閥のかん口令や党議拘束を廃し、国民以外に誰からも影響を受
けない国会議員個人の良心に基づく判断が出来る環境を作り、自由と平等条件が確
保された真の世論重視の進化ルールへ制定改正することが重要なのです。
この様なルールに則って打ち出された「大衆とエリートの事実に対する概ね一致し
た判断のみが真の国家の理念・観念になるのです。」
この独ソ戦のソ連の戦死者は2000万人(日本の第2次大戦の戦死者は民間人を
入れても300万人である)と言われ、大国が正義を離れ他国はどうなっても自国
だけは巻き込まれたくないという損得で条約に頼ることの危険性を痛烈に表してい
ます。

しかし冬将軍とソ連人民の信じられない程の戦闘意欲の高さの前にヒットラーは敗
れていくのです。
中立を守っていたアメリカが中立を破棄し第2次世界大戦に対日、対独、対伊に参
戦したのは、日本軍による真珠湾攻撃奇襲攻撃の翌日昭和16年12月9日だった
のです。
本来はルーズベト米大統領は、母国イギリスを始めとしてヨーロッパをヒットラー
から助けることを最優先課題としていたのですが、第一次世界大戦にアメリカに敗
れた独ヒットラーは、アメリカの国内世論を良く熟知していたので決してルーズベ
ルトの挑発に乗らなかったのです。
ところが日本が宣戦布告無しで(開戦後一時間遅れの宣戦布告だった)いきなり前
触れもなくハワイ真珠湾を攻撃しアメリカの太平洋艦隊の大部分を破壊し、アメリ
カ人2000人以上を殺してしまったのです。
真珠湾攻撃によって中立をかたくなに守り参戦拒否で固まっていた孤立主義を掲げ
るカーボーイ国家アメリカの国民と議会は激怒し、たった一日で参戦で国論が統一
されたのであります。
ルーズベルト大統領は日本の攻撃をある程度知っていたのではないか、ハルノート
で日本を挑発したのではないかとの憶測も戦後唱える人もいることは事実でありま
す。(確かにアメリカ軍は通信の傍受からある程度日本の動きは察知していたが宣
戦布告が無い以上真偽は確定されていないので的確な対応が為されていなかった)
つまり攻撃を実施するしないの判断は最終的に我々日本人が常に握っていたわけで
すので、我々の罪が軽くなるわけではありません。
宣戦布告無しの真珠湾攻撃は極端な国際ルール違反であり、信義と誠実を旨とする
日本の武士道も地に落ち日本への国際的信義は崩れさってしまったのです。
よく識者はアメリカは黄色人種である日本と白人である独、伊と取り扱いを違えて
いるのは人種差別でけしからんというたぐいの論説を良く耳にしますがこれは必ず
しも正しくありません。
独、伊はアメリカの国土を一度も攻撃をせず、逆にアメリカが独、伊に対して宣戦
を布告して攻撃をしかけた方なのです。
つまりアメリカは一度も日本を攻撃しなかったのに、日本が宣戦布告もなしにアメ
リカの国土であるハワイ真珠湾へ不意打ちに総攻撃をかけたのです。
しかもハワイでは日曜日の朝、軍人も民間人もゆっくりくつろいでいた、その瞬間
をねらってアメリカの軍民2000人以上を死亡させてしまったのです。
このような場合日本社会でもアメリカ社会でも同じですが、事件を最初に起こした
方は殺人罪という重罪になり、これに反撃して重傷を負わせた人は正当防衛で無罪
なのです。
これは特に市民が裁判官になっているアメリカの陪審員制度で鍛えられているアメ
リカ市民にとっては、一市民が起こした事件も、一国家が起こした事件も結局人間
が判断して起こしたものである以上全く同一ルールで判断する根本原則が特に強く
表れるのです。
ここに本質的な問題があるのです。
このようなルール違反の戦争の開始の仕方がアメリカに参戦の大義名分を与えてし
まい、さらに良くない日本の国家イメージを連合国側に与えた戦略的失敗のために
原爆投下の不当性の世界的世論までが日本にとっては残念ですが大きな声にならな
いのです。
つまり戦争にも遵守すべき戦争道徳が存在するのであって、国家は国民にそれを正
しく教える義務があるのです。
日本の戦争の仕方が守るべき国際ルールや戦争道徳を遵守しなかった為、常に現在
でも非難が絶えないのです。
戦争自体が犯罪なのではなく、戦争にかかわる国際ルールや戦争道徳に反した日本
の行動が非難されているということを正しく理解しなければならないのです。
アメリカにとっては日本が戦争を仕掛けてきたわけであり、独、伊についてはアメ
リカが逆に戦争を仕掛けたわけですので、独、伊に比較的寛大であり、アメリカ在
住の日系人に比較的厳しかったのは不当であったとしても以上の理由から明らかで
す。
しかしその戦争の結果責任については、ヒットラー、ムッソリーニの末路と戦後国
際的にも素晴らしい活躍をされ天寿をまっとうされた我が昭和天皇に対するアメリ
カを始めとする国際社会の昭和天皇の人間性を深く理解した配慮は極めて公平であ
ると私は感じています。
元々戦争には賛成でなかった昭和天皇は、戦争開始前に宣戦布告すべきことは第3
回ハーグ会議の条約第一条で決定しており、昭和天皇は日本は国際法に従うべきと
強く主張し、そのご意向に沿って外務省と軍部で当初開戦前2時間前、最終的には
30分前での宣戦布告で協議されたのにも関わらず、軍部と外務省は真珠湾攻撃に
際して結果として昭和天皇のご意志を無視し事実上事前の宣戦布告なしの国際法違
反の戦争開始になってしまってのであります。
真珠湾攻撃成功に沸き立つ国内に帰還した攻撃隊の飛行指揮官の淵田中佐は国内で
熱烈な歓迎を受けた後、昭和天皇に謁見したわけであるが、昭和天皇のお言葉の中
に「真珠湾の病院船を攻撃しなかったか」「偶然でも民間機や非武装の訓練機を打
ち落とさなかったか」と確認のお言葉があり、淵田中佐は「ありません」と直接答
えたと言われている。
そして淵田中佐は「真珠湾攻撃のほうが天皇陛下へお答えするより楽だった」と述
べたとも伝えられている。
ここにも勝つ為には手段を選ばない軍部や官僚の考え方と全く異なる昭和天皇のリ
ベラルで誠実な思想が浮かび上がってきます。
電撃的な独ソ戦開始の一年後の膠着した戦線で昭和17年7月から昭和18年1月
にかけての独ソ戦のスターリングラード攻防戦において33万人のドイツ軍が9万
人の捕虜を残して敗北し、昭和18年7月に独ソ戦におけるソ連勝利の転換点とな
ったクルスクにおける史上最大の戦車戦(両軍の合計の戦力は戦車13000両、
飛行機12000機、火砲69000門、総人員400万人という海軍国日本では
考えられない陸軍国同士の壮烈な戦いであった)でソ連が決定的な勝利を収めたの
であります。
さらに同じく昭和18年7月にはイタリアのムッソリーニが失脚し、昭和19年6
月にはアメリカ軍の大規模なノルマンディー上陸作戦が実行され、その後坂道を転
がり落ちるようにドイツは敗退につぐ敗退を重ね10ヶ月後の昭和20年4月には
ベルリンが陥落しヒットラーが自殺するわけであるがその段階になっても日本の軍
部は徹底抗戦を叫ぶ一部主戦派軍人をコントロール出来ず単独で世界を相手に無意
味な戦争をただただ継続し、昭和20年2月から3月に掛けての硫黄島戦において
日本軍陸海軍将兵21000人が補給途絶の中アメリカ軍61000人と悲しい死
闘を繰り広げ全員玉砕しアメリカ兵も29000人の死傷者を出しさらに沖縄戦が
昭和20年4月初めより日本軍12万人に対してアメリカ軍54万人と1500隻
の艦船という圧倒的な戦力差で開始されたのです。
昭和20年4月、5月の2ヶ月間のすさまじい戦闘によってアメリカ兵に多くの犠
牲を出し、日本軍と沖縄市民には筆舌に尽くしがたい膨大な犠牲を出し6月23日
には牛島司令官以下が集団自決し組織的な戦闘は終了したのです。
このように敗戦は明確であるので、無条件降伏の受け入れによる敗戦の決断を早く
内閣がすべきことを、軍部を中心にこれを決断出来ずただただ本土決戦を叫ぶ主戦
派軍人を説得できずアメリカを中心とする連合軍の圧力が強まる中、時間ばかりが
経過し昭和20年7月26日の連合軍よりのポツダム宣言による無条件降伏受け入
れ勧告を軍務官僚がまとめられないため、時の鈴木貫太郎内閣がやむを得ずこれを
拒否し、このため昭和20年8月6日には広島に原爆が投下され、8月8日にはソ
連が日ソ不可侵条約を破って突然対日参戦して攻撃を開始し、8月9日には長崎へ
2発目の原爆を投下されても未だに敗戦の決断が出来ない軍務官僚の態度から、8
月15日昭和天皇が一身をなげうち明治憲法上の手続きを無視し多くの国民の命を
守る為、御自身の運命を省みず毅然と一部軍部の強硬な反対を退け「ご聖断として
の敗戦の受入を決定」したのであります。
中世日本の戦国時代でも城主が戦に負けて家臣の命の安寧を求める場合の作法は既
に出来上がっており、その武士道を忠実に守って実行されたのは、昭和天皇お一人
であったのです。
本来それを率先して実行しなければならなかった軍務官僚は殆ど何も積極的な行動
を取らなかったのです。
情報の途絶えた中ご自身の身の破滅を覚悟の上で国民を救うため、この昭和天皇個
人としての判断の確かさと人間としての誠実さこそ、連合国軍の戦後処理と立憲君
主国の維持に大きな影響を与え昭和天皇は日本の敗戦後も日本の象徴として日本の
国民大衆に敬愛されたわけであります。
この戦争の形式的ではなく本質的で実質的な問題点や責任は誰にあったのかについ
て全体的に「誠実で正直な判断」を下してくれたアメリカ特に本国政府に激しく逆
らってまで天皇陛下を守り、日本の現代のシステムを作り上げてくれた厳しくはあ
ったがマッカーサー司令官(当時の日本占領軍の最高指揮官)個人に対して深い敬
意を払うものであります。
私はこの様に国という独占組織においては、組織的な国家意志(つまり理念)を尊
重するよりもその問題に直接携わっている責任者の良心と自由と平等の精神を持っ
ている人間としての個人意志を尊重する(つまり事実を尊重する)国家システムの
方が、遙かに有効と考えています。
マッカーサーの行った民主化を最も歓迎したのは当時の日本の国民大衆であり、だ
からこそ当時の大変革が砂に水がしみこむように、日本の大地を潤し国民大衆に迎
えられ日本に根付いていったのであります。
決して既存のエリートはマッカーサーの民主化には賛成ではなかったのです。
もちろん左派エリートも冷戦の開始下でアメリカの影響を好ましく思わず、マッカ
サーのアメリカ的民主化にことごとく反対していったのです。
戦後になって天皇制を維持したのはアメリカの国益の為だとか、アメリカの利益の
為だとか、言うかしましい議論が出ていましたが、これはアメリカ国民に対する非
礼であります。
その根本はもちろんアメリカの国益もゼロでは無いことは事実でしょうが、大部分
の判断の基礎は昭和天皇個人の誠実で正直な資質や行動・判断の確かさと自らの御
身をかえりみず敗戦を決断し日本国民を救ってくれた昭和天皇に対する日本国民の
敬愛の念さらにはこの戦争で自国の若者の戦死を新たに増加させることなく早く終
結し、早く平和を切望しているアメリカ国民の願望を正確に認識していた昭和天皇
とアメリカのトップの判断力の柔軟さ、幅広さ、確かさに敬意を表するところであ
ります。
もし昭和天皇がヒットラーやムッソリーニのように戦争を実質的に主導し、決して
ポツダム宣言を受諾せず、軍強硬派とともに徹底抗戦を叫び本土決戦に及んでいた
ならば、更に膨大な日米の罪のない若者の死と果てしのない憎悪が日米両国民に充
満し決して現在の日本は無かったし、戦後の天皇制の維持など無かったと思います。
ここに昭和天皇の誠実で偉大なお人柄を感じるとともに、これを素直に判断して対
応してくれたアメリカ国民とマッカーサー司令官個人の思想に深く敬意を表するも
のであります。
さらに日本空襲計画立案の初期から悠久の歴史を誇る日本の貴重な文化財の存在す
る京都、奈良、鎌倉などに対して空爆対象から外すよう意見具申した知日派アメリ
カ人の意見を採り入れるなどの処置をとったアメリカ軍幹部の長期的視野に立脚し
た決断には感謝しています。
我々は今でも我が日本民族の長い歴史に育まれたこの貴重な文化財を心ゆくまで堪
能できるのですから。
さらにこの戦争で戦死した我々では想像もつかない勇敢な多くの英霊の活躍が、世
界史を大きく変え、さらに敗戦後焼け野原の日本に残された国民の意識を大きく変
え、民主化に邁進できた原動力になっていると感じています。
さてソ連は特にドイツに対しては独ソ不可侵条約を破り、2000万人の国民を殺
された怒りはすさまじく独の分割を絶対に主張し、西独と東独に分割せざるを得な
かった歴史は既にご存じの通りなのです。
アメリカの日本に対する対応、ソ連のドイツに対する対応、国それぞれに対応の差
があるのは、区分区別していきさつを良く調べなければ答えは出せないのです。
同じ殺人でも、軍人であれば正々堂々と戦った末の大戦果であれば例えソ連、中国、
アメリカ、フランスでも勲章が授与されるのであり、民間人においては正当防衛に
よる不起訴や無罪から執行猶予付き3年、20年の懲役刑、無期懲役、死刑まであ
るのですから物事を区別し区分し細かく判断する「個別対応原則」の大切さを痛感
するものであります。
殺人や戦争というその言葉だけで物事を一定の理念で固定的に捉えることの危険さ
を表しています。
殺人という行為の中身の評価さえ実際問題としてこの様に千差万別の区分区別があ
るのに、一つの言葉のコンセプトに日本人は縛られがちなところに大きな問題があ
るのです。

しかしアメリカも我々がポツダム宣言の受諾が遅れていたとはいえ、悲惨な原子爆
弾まで投下して攻撃したことを考えると、先に攻撃して戦いを仕掛けた我々の過ち
が消えるわけではありませんが、国は理由があれば何でも行えるのだと痛感するの
です。
忘れてはならないのは、ソ連も日ソ中立条約を日本の敗戦直前の昭和20年8月8
日ポツダム宣言を受諾するわずか一週間前にいきなり理由もなく破って日本軍や民
間人を襲い幾多の将兵を捕虜にしてシベリヤで強制労働に就かせ、極寒の中多数の
死者を出したのです。
もちろんなかなかポツダム宣言を受諾しない日本を早く受諾に追い込むためアメリ
カを初めとする連合国見側が初期の段階ではソ連の対日参戦を打診した形跡はある
ようであるがその時点では米ソ冷戦の兆しも現れそのような働きかけは停止してお
り、逆に当時日本は和平工作をソ連の仲介で行っていたことも事実であり、まして
や条約有効期間の満了(昭和21年4月)前にそれを実行するかしないかはまさに
ソ連の意志にかかっていたわけであり、ポツダム宣言受諾後も日本への攻撃を続け、
それを実行した当時のソ連を我々日本人が条約違反を主張し非難することは当然の
ことなのです。
つまり条約や約束なとど言うものは守る意志のない人には全くの無力であり、対抗
力を持たない限りは国に条約や約束を守らせることは出来ないのです。
私は戦争政策を簡単に述べてみましたが、これは「国は何でもできるし、180度
政策の変更も簡単にやれるのだ」ということをドラマチックに述べておきたかった
のです。

そして敗戦後日本を占領し蹂躙するであろうと考えられていたアメリカはその思想
的原点のプラグマチズムとマッカーサーが特に色濃く持っていた理想主義を遺憾な
く発揮し、「国は何でも出来ることを物の見事に実践し」短い期間の太平洋方面の総
司令官ダグラス・マッカーサー元帥のGHQの日本占領時代に戦争の放棄・平和憲
法の制定、最小限度の戦犯の処刑、日本からの賠償金の非徴収、大規模な食料援助
の実施、天皇の象徴制への変更、財閥解体による経済の民主化、農地開放による小
作農から自作農への強制転換、言論の自由の保証、政治犯の釈放、女性への選挙権
の賦与と婦人解放、労働組合化の促進と団結権の保証、民主的教育制度の確立、検
察警察の民主化などを実施するため日本国憲法いわゆる平和憲法を始め45の基本
的法律を改善制定しそれを実行し現在の日本の制度体制の基本を確立し日本へ進化
システムを導入したのであります。
アメリカは特に日本と戦った相手国であり、第二次世界大戦のアメリカ軍人の戦死
者407、000 人を出し、戦いを仕掛け敗北した日本へ賠償金を請求するのは
当然なのに、第一次世界大戦の戦後処理の賠償金の請求がヒットラーの台頭を招い
たという戦訓と疲弊した日本の民主的な再建を考慮して、これを放棄し請求を起こ
さなかった事実は我々として記憶すべき事と考えています。 (なお対日賠償請求
権の放棄はアメリカのほか中華民国、インド、ソ連も行っている。)
これはアメリカの「誠実で正直に行動することは必ず利益をもたらす」という基本
的なアングロサクソン民族の道徳感で日本に接した結果でありましょう。
さてこれら各種の政策はどれひとつをとってみても現在の日本の官僚と政治家では
ほとんど出来ないか、出来ても1つの問題についても2―3年は最低かかる問題を、
占領軍としての強権力を持っていたとはいえわずかな期間で日本の実情も良く知ら
ないアメリカの軍人でありながら、45もの基本法律を進化システムへ大改善する
よう強く指導し、それが結果として日本にとって素晴らしい効果をもたらしたとい
う政治的手腕は驚嘆する以外ありません。
当時マッカーサー司令官が帰国後述べた日本人12才論がマスコミを中心に誤解さ
れ日本人に非常に不人気であったために同氏の日本における業績が正当に評価され
ていないのは残念でなりません。
私も民族主義者でありますが「良いものは良い」と評価する素直な気持ちは武士道
でも望まれているので、このマッカーサー総司令官に対する評価は正しく行うべき
と考えております。
さてアメリカでは軍人までが一個人として政治経済のことにこれほど精通している
ことに驚きを禁じえないのです。
アメリカ人の持つプラグマチズムの実用精神には感心するばかりです。
私は軍人の政治家は嫌いですがマッカーサーと同時期ドイツと戦ったヨーロッパ方
面総司令官アイゼンハワァー元帥がアメリカの大統領になり「産軍共同体いわゆる
軍需産業の増殖の危険性」を軍人出身でありながら再三強調して述べたことは人間
というものへの、深い理解があって初めて可能なのです。
そのような人間に対して深い洞察力を持っているリベラルな人間が軍人のリーダー
にさえなりうる社会がアメリカには存在することに敬意を表したいと思っているの
です。
アメリカ人は我々が「誠実に接すれば全てを許す国民ですが」決して「起きた事実
を忘れない国民なのです。」
このように人間の本性をよく理解し正義感と陽気さ、寛容さと用心深さ、疑い深さ
等の感情をバランス良く持っているのがアメリカを始めとするアングロ・サクソン
民族の強みなのです。
特に日本人は相手が論理的に確約したことや論理的に主張したことを正しいと感じ
てしまい疑い深い目で見ることは苦手でありますが、アングロサクソン民族は常に
相手が取りうる目に見えない「選択肢」を個別に冷静に分析し見極め用心深くリス
クを計算する能力に長けているのです。
だから彼らの好きなゲームは持ち手が目に見えないポーカーであり、ブリッジなの
であります。
つまりどんなに腕を磨いても絶対はあり得ず「常に物事を確率的に判断する」こと
になるのです。
現実の社会経済の実務の世界においては相手の手の内が丸見えになることはまずあ
りえず、手の内を隠しながらの相手との競争であるので、これらの現実の社会経済
の駆け引きはゲームに似ているのです。
ここにゲームの理論の発展による駆け引きや戦略さらに確率論が加味されて経済理
論にも結びついて行ったのであります。
これに対して日本人が好きなゲームは手の内を丸見えにして戦う将棋であり囲碁な
のです。
だからこそ相手が切り札を隠す外交や実務における駆け引きや通貨問題に日本人は
決定的に不得意なのです。
この点は日本人の根本的な欠点として常に認識した上、ポーカーゲームのテクニッ
クを研究し相手はポーカーのルールで仕事をしている国民なのだという認識が必要
なのです。
これを少しでも改善するためには常にことに当たって、一つのことに固執せず目に
見えない部分も予測して多くの選択肢を見通し事前に各々公平に価値判断する訓練
を積まなければなりません。

ヨーロッパで愛好されているチェスと比べて将棋は取った駒を再使用できるユニー
クなルールを採用しており、囲碁に至っては盤のセル数が圧倒的に大きくまるで宇
宙を遊泳しているようであり、いずれのゲームも「論理」のゲームでありますが、
ヨーロッパのチェスと比べれば遙かに複雑な不可能への挑戦ゲームなのであります。
しかもチェスは既にその世界チャンピオンが論理式を備えた世界最速のコンピュー
ターに破れていますが、日本の将棋と囲碁は複雑過ぎてコンピューターにとって「不
可能への挑戦」であり人間のチャンピオンは当分の間コンピューターが超高速に進
歩しても負けないでしょう。
しかしゲームから推測される柔軟に対応できる国民性について私は無制限にアメリ
カを賛美しているわけではありません。
朝鮮戦争では中国軍の参戦によって苦境に立たせられた当時のマッカーサー司令官
が原爆の使用を求めてアメリカ大統領トルーマンと意見が衝突し、司令官を解任さ
れたのであります。
この第二次世界大戦における太平洋方面の最高責任者であり、自国の英雄であるマ
ッカーサー司令官さえ解任するシビリアン・コントロールの確かさをアメリカには
感じるのであります。
さて日本の無警告先制攻撃の戦訓をふまえアメリカの大戦後の核戦略は核抑止論を
基本としつつもつねに他国の先制攻撃に対しては大量報復核戦略を常に保持してお
り、この意味でも日本人が単純にアメリカをアメリカ帝国主義などと非難しえない
ことに注意しなければなりません。
つまり第二次世界大戦の初期の2年3ヶ月間も孤立主義に基づく中立を堅く守り第
二次世界大戦へ参戦を拒否していたアメリカ国民、議会は日本の真珠湾攻撃に激怒
したった一日で対日、対独、対伊(日独伊三国同盟に対する)への参戦を決定し、
アメリカ国民の意志に基づく第二次世界大戦へのアメリカの参戦が確定したのです。
そして第二次世界大戦後アメリカでは孤立主義、不干渉主義が世界にどれほどの厄
災(全世界で5000万人以上が戦死した)をもたらしたかの国民的反省から多国間の
相互安全保障、早めの予防行動基準、さらに他国への民主主義の普及への全面的な
努力が確立していったのであります。
ここにも過去に日本のとった行動が現代アメリカの行動に影響を強く与えたことを
忘れてはいけません。

もちろんアングロ・サクソンのアメリカ人と言えども人種差別意識はある(もちろ
ん日本人にもある)のであります。
動物は同一種であっても、親が違ったり、生活圏が違えばよそ者は仲間と区別して
対応するのはごく当然の習性を持っており、争いが起こるのは日常茶飯事なのはテ
レビで「生き物地球紀行」を見ていればすぐに分かります。
人間も動物の一種である以上、仲間かよそ者かによって区別が存在することは、き
れい事ではなくアングロ・サクソンを始めどの民族でも多かれ少なかれあることは、
理解しなければなりません。
アメリカにも奴隷解放戦争と言われた南北戦争に敗れた南部を中心に現在でも急進
的なKKKという少数だが白人至上主義者の集団の秘密結社があることは、アメリ
カ映画をご覧になる人なら知っていると思います。
ただヨーロッパの全体主義や共産主義のように国をあげて普通のほとんどの国民ま
でそれに染まってしまうと言うことが、アメリカには無いのです。
KKKに対してはアメリカ連邦法で規制されており、違法行為は当然処罰されるの
です。
人間は知性によってそれを克服するためにどれだけの努力をしているかで評価すべ
きと考えています。
我が国がもしアメリカのような人種構成だったならば、アメリカのように「差別問
題」に的確に対応できていたかどうかと言えば、YESという自信は全くありませ
ん。
私も近くに少数の黒人や白人の人が引っ越してきても寛容の精神で暮らしていける
自信はあります。 なんとなれば別々の家での生活である以上お互いの生活に踏み
込む必要がないからです。 ところがその人達も生計を立てなければならない以上、
その人たちも働かなければならず例えば私の小さな事務所に雇った場合うまく部下
として使っていけるかと言えば全く自信がないと言えます。
文化も違う言葉も違う細かいニュアンスも違う方々と効率と細かさを極限まで追求
する日本の仕事を共有することは業種によって全く異なるでしょうが、正直に言っ
てなかなか難しいと推測せざるを得ません。
その点アメリカの企業とその文化の適応能力の高さには驚かされます。
したがってこのような適応力が高くしかも事実として多民族を受け入れ働く場、活
躍の場を与えるアメリカの本質的な良さを認めるからこそ、多くの人間が現実にア
メリカへ引きつけられるのだと思います。
その根源が人間一人一人を「フェアーな自由と対等に平等に扱う精神の存在」なの
です。
同じように日本人には「どのような業種に従事している人でも正直で、誠実で、能
力があり、人一倍努力する人が例え外国人であっても正当に評価する根本的な気質
が現代の日本人気質に備わりつつあり、私はこの現代日本人の新しい国民性を高く
評価したいと思っています。
更に若い人々はより一層その傾向が強いことに、深い共感を覚えています。」
ただアメリカは更にそれが徹底しているのです。
しかし人間だれもが失敗するようにアメリカにも幾多の失敗がありました。
しかしながらそれは失敗の教訓として話題になり議論され、責任を追求されいつも
彼らの持つ規則や法律などのマニュアルやシステムが作り直されていることに帰納
法と判例法の思想の持つ実用性には感心しています。
もちろんセルフディフェンスつまり自己防衛哲学から発する銃器問題のように中々
改善の難しい問題もあります。
これは民主主義国家では犯罪予備軍への予防拘禁は絶対認められない原則であるた
め、犯罪者の第一撃に対抗する唯一の手段は日本でも同じですが自分自身の自衛に
よるしかなく、犯罪被害が発生して始めて警察が援助してくれる原則があるからで
す。
犯罪者からの第一撃に対してのセルフデイフェンスは認めざるを得ないという論理
は、その副作用としてアメリカのように一般市民に銃器が蔓延しそれがまた銃器犯
罪を助長する側面が生ずるのであります。
相反する原則のぶつかり合う矛盾なのであります。
さて話を元に戻しますが、もちろん占領軍のGHQにもおおくの問題点があったこ
とも事実ですがそのブラス、マイナスを現在評価すれば日本にとって今何げなく行
われている原点が日本人として認めたく無い人は多数いるとは思いますが、私は素
直にアメリカ人思想の具現者であるマッカーサーの功績を認めざるを得ません。
もし我々が当時のソ連共産党の系列国家にに組み入れられていたらと考えると空恐
ろしい感じに陥ります。
さて人を死に到らしめて無罪や不起訴になるのは、正当防衛や緊急非難に該当する
場合であり、勲章を授与される場合は戦争で正々堂々と戦って味方を守り敵の大部
隊を破る等の大戦果を挙げた場合であります。
これはアメリカでもソ連でも中国でもフランスでも変わりはないのです。
戦闘員同士が戦争法規に違反せず正々堂々と戦場で戦う戦闘行為は戦争犯罪では全
くないのです。
第二次世界大戦で戦争を行ったアメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中国などの
兵士は全員戦争犯罪人だったのでしょうか。そんなことは全く無いのです。
日本人は戦争自体が犯罪である考えている人が多いが戦争犯罪とは戦争の企画や戦
闘行為に関連して戦争法規に違反する行為があってそれを行い又は命じたものを交
戦国が捕らえた場合これを処罰することをいうのです。
したがって大切なことは国民に国際的な戦争法規を良く普及させておかねばならな
いことなのです。 白旗ひとつあげ方を教えなかった為多くの市民が自決した悲劇
を繰り返してはならないのです。
日本が第二次世界大戦において多くの非難を浴びているのは、正々堂々とした戦闘
行為を非難されているのではなく戦争法規違反の行為が多数あった事を非難されて
いるのです。
したがってこの第二次世界大戦の我が同胞も戦場で正々堂々とアメリカ兵を相手に
戦った者に対しては何の咎めも無かったのです。
重大なことは戦争犯罪も基本的には個人の犯した刑法犯の場合と全く同じく戦争法
規によって戦争の「真の動機の違法性」と「行った行動の違法性」を個人個人に追
求されるという事なのであります。
そして戦争の真の動機が悪意との戦いであり人類の正義にかない、戦闘行動につい
て違法性が全く無ければ、その兵士は悪と戦った英雄として国民から、世界市民か
ら賞賛されるのです。
戦前当時の国内事情からやむを得なかったとしてもマスコミや教育関係者が戦争を
賛美し国民を誤って指導し、これが国民に大きな厄災を与えたことは事実でありま
す。  戦後その反省のためとは言え、まったく詳しい検討もせず戦前と正反対に
戦争を全面的に否定するマスコミと教育関係者は、またまた将来国民を大厄災に陥
れるのではないかと危惧しております。
突然起こる戦争は肯定も否定も成されるべきではないのです。
正しい判断はどう行うべきかを国民とともに考えながら啓蒙するのがマスコミと教
育関係者の責務なのです。
国内の人間個人に適用される殺人でさえ、正当防衛の場合は正しいことを行ったと
して無罪になるのであり、逆に見て見ぬ振りをする不作為犯は共同正犯として厳し
く罰せられるのです。
国家間の戦争といっても、この人間個人の犯罪問題と何も変わらない判断で良い悪
いを考えるのが基本になるのです。
戦争は無いほうが良いのは誰でも当たり前のことですが、そのような問題が発生し
たら真剣に戦争回避に向けての懸命な努力がなされなければならず、しかし相手が
理不尽に攻め寄せてくれば国民の命と財産を守る為、戦うのは当然のことなのです。
なんと判断は難しく、区分や区別は大切なものであることをお分かりいただけたと
思います。 そして区分や区別が難しいからこそ平時に状況に合わせた議論を重ね
ておく必要があるのです。
そして平和という概念を人間の健康という概念と比較して見るとすぐ分かることで
すが、人間が健康であるということは人間の体内にある免疫機構が正常に働いて人
間の身体にとって良いもの悪いものを正確に区別区分して、体内に侵入してくる細
菌や異物など悪者を常に排除し身体を正常に保っている状態を指すのであります。
あなたが健康で生きていられるのは、身体の中で毎日免疫機構と免疫細胞が活躍し
激烈な悪玉細菌との戦いに勝利しているからなのです。
免疫機構が働かなくなった死んだ肉体を真夏に常温で一日放置すれば、たちまち腐
敗が始まるのです。
平和も全く同一で免疫機構が正常に働かなければ平和は維持できないのです。

さて今まで述べたように極端に言えば国はやろうと思えば戦争から人殺しまで何で
も出来るのであるし、さらに戦争直後の国会のように実質的にはGHQのマッカー
サー総司令官の強力な指導と助言に基づいたとは言え、形式的には全て当時の日本
の官僚と国会議員が決定した明治憲法下の法律体系と正反対な民主憲法を始めとす
る45の基本法律に進化システムを注入する決断と抜本的改善を短期間でやれた実
績も持っているのであるから「現代の国の法律やシステムを国民の幸福の追求に資
するためにダイナミックに変更することなど全く問題なく出来る」し過去やってき
たのに、この事実を全て忘れてしまい現状の話題の税制問題については既存の役に
立たない理念に拘泥し、何のかんのと理由をつけて条文や解釈の重箱の隅をつつく
ようなダイナミズムの無い、進化システムの働かない有職故実をばかりを唱えるお
公卿さんのような財務官僚による税制の本質的検討が遅々として進まない現状には
辟易としています。
少なくともマッカーサーの百分の一程度の努力と勇気をもってもらいたいと思いま
す。 ましてや我々日本人を統治しているのは日本人自身なのですから。
「国民や経済」にとつて細かい不具合な点はどんどん改善する姿勢こそ「進化シス
テムが予定している大切な姿勢」なのです。
そして財務官僚のポリシーは「国家財政の守護神」というチマチマとした根性の狭
いポリシーではダメなのであり、「日本国と国民の幸福の追求に役立つ資本主義的
自由主義市場経済システムの維持発展の守護神」という次元の高いポリシーを持つ
べきなのであります。
「国家財政」は資本主義的自由主義市場経済が順調に維持発展すれば「結果」とし
て全く問題なく改善され解決される問題にすぎないからなのです。

財務官僚がプロとして国家経営のその基本的な仕事を達成すれば「結果」として国
家へ財政の安定と改善をもたらすのです。
財政の細かい数字をいくらいじくり回しても大きな成果は絶対に期待できないので
す。
「経済を維持発展させれば自然に税収が大幅増加する仕組み、システムを作ったう
えで、国民を幸福へ導く経済発展に全力を尽くせば、国民も喜び結果として税収の
大幅増が得られるのです。」
現状は経済が発展しなくても税収を上げられるシステムを模索しているようであり
ますが、それはパラドックス(逆説)に陥るだけであり、納税者というしたたかな
人間を相手にしている以上、それは全く不可能であり、納税者はそのような了見の
狭いエリートの勝手な思惑を誰も許さないし強行すれば、色々な形で抵抗し拒否反
応が生じそれに応対するだけで更に財政需要が増加し更に財政が悪化するだけなの
です。
進化とは環境へ「適応するため」に「変異」つまり試行錯誤という哲学的手法で進
化システムの中で、生き残るか淘汰されるかをいつも実験し観察しなければならな
いのです。
多くの事例で述べたように国は何でもできるし、どんな変更でも出来るのです。
たかだか一つの法律を制定したり改善したりすることが、いかにも大問題の如く議
論する事自体、時代錯誤なのです。
ただやる意志があるかどうかの問題なのです。
古来日本で発達した哲学である陽明学の要諦に「知って行なわざれば知らざるに同
じ」という言葉があります。
理屈や論理ばかりを述べる人間は本質を全く知らず、エリートの資格は無いのです。
要は「国民の幸福や経済の発展にとって真に役に立つかどうかだけで判断すれば良
いのです。」
私は日本人は「他人が経験している既知の問題に対しては横並びで一斉に取り組む
が」「たとえそれが正しいと分かっていても、だれも経験したことが無い未知の問
題に対しては取り組む勇気が乏しい民族ではないか」と危惧しています。
特にエリ−ト層にはよく考えた上、未来の人間環境へ向かって物事を改善する勇気
が求められているのに有職故実ばかりに気をとられ物事を改善する本当の勇気が不
足して います。
しかし潜在意識の中に国民大衆のために役に立つ行動をしたいと願うエリートは全
エリートの15−20%は必ず存在していると確信しています。
勇気あるエリートの多数の出現を切に切に望んでいます。
そしてそれが本質的に正しいことならエリートを賞賛する雰囲気が大切なのです。
そしてそれが国民大衆にとって誤った選択だったと判定したら、エリートは方向変
更を再選択する勇気が必要です。
そしてその再選択が正しい方向と認識したならマスコミは国が試行錯誤したからと
いって非難合戦をしてはならないのです。
国に優秀な人材が揃っているといっても、たかが人間のやることですので誤りや誤
解や見込み違いはあるのです。
「政策の方向変更のための再選択が正しい改善の方向である限り、寛容の精神で成
果を見守る必要があるのです」。
いままでは方向変更の再選択が非難や格好のマスコミネタになることを恐れ事実を
公表しなかったり、真実を歪曲してきた側面が否めないからであります。
マスコミが非難すべきは事実を隠蔽したり、真実を歪曲したり改善努力をしない業
務怠慢をしたりする事項に限るべきなのです。
職務を忠実に行った結果でそれが重大な誤りでなければ真実の発表なら素直に受け
入れ、いちいち瑣末なことにケチをつけるより、より良い改善をするにはどうした
ら良いかに論点を移すべきなのです。 



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