(国の統治手法と規制、促進について)

それでは国はどういう「手段」で国民をコントロールしたり、収入を得たりしてい
るのでしょうか。  その「本質的手段」を述べてみたいと思います。
国はあらゆる分野に渡り以下に述べる2つの項目を組み合わせて法律を適用し、国
と国民をコントロールしているのです。

          1、 規制 2、促進

国は六法全書に収められている膨大な法令に基づいて国民を統治しているのです。
法律は国民に「あれをするな、これをするな、あれをしろ、これをしろ」と規制事
項、促進事項を強制して統治し、収入を得て組織を維持しているのです。
つまりあらゆる国々の人間の社会経済はあらゆる種類の人間に完全な自由などは認
めていないのです。
もし人間社会に完全な自由つまり何でもありの世界が容認されていれば「法律も制
度も基準も通達も」必要ないのです。
そこで法律などは長い人間の社会経済的歴史の中で培われてきた慣習や人間社会の
要求から、法令等として成立してきたものです。
しかし自由な事項は元々自由なのですから一般的に法令で規定されることはないの
です。
(1)「規制」とは本書では禁止という不作為の強制または命令を含みます。
人を殺すなとか人の財産を盗むななどです。
これを犯すと当然警察に調べられ、裁判に掛けられ刑に服さなければならないので、
国民はこの禁止事項を守るのです。
そして社会経済を適正な方向へ進めるには規制効果を達成するために罰金や課税な
どの経済的負担を課す方法もあり、また不利益取り扱いや不平等取り扱いも規制の
一種になります。
さらに「規制」とは犯罪化または問題化すべき水準を示しそれに達した場合取締り
や罰金や課税の対象にする方法なのであり遵守すべき水準や経済の発展や国民の幸
福に非常に役立つ効果もあるのです。
規制の中でも「税」の性格は特別であり、国家は全く規制する意志を持っていない
が、国家を維持する経費として徴収する性格を持っているものであります。
しかしたとえ国家が規制する意志が全く無くてもこれを課税される側の人間は徴収
されることにより規制と感じこれを逃れたいと感じるのです。
さて規制にはすべてネガティブ(否定的)な印象が喧伝されておりますが、それは
一方的な概念の形成であり、他方では競争条件を平準化する(決定する)意味で非
常に有益で重要な概念であり、さらに他の選択肢を選択させる動機付けにもなるな
ど色々と有用な機能がありこれをうまく活用することが国の統治の巧拙が表れるの
です。
そして経済的には極めてフェアーな条件を提供することになるのであります。
終戦直後マッカーサーが日本の新しい労働基準法を改善する際8時間労働を規定さ
せたのは、戦前の日本の労働者が劣悪な労働条件下で労働していたのを哀れんで人
権問題として制定させたのではないのです。
アメリカ本国との労働条件格差を出来るだけ少なくして、同一労働条件で経済競争
を戦うべきだという競争条件の平準化というフェアーな思想があったからなのです。
同じく労働組合法、労働関係調整法の使用者(資本家)側への規制を伴った抜本的
改善も労働組合の交渉力を強め、労働組合に賃金水準の向上の当事者能力を与え戦
前の日本の劣悪労働条件下における低賃金労働から生み出された低価格商品を改善
させアメリカと人的に同一労働条件下で経済競争を行う基盤をつくる競争条件の平
準化というフェアーでシステム的なアプローチだったのです。
もし日本の厳しい排ガス規制が存在しなければ車両密度、人口密度が高い日本では
自動車の存在そのものが大気汚染の元凶として存在が否定される可能性があったの
に、日本は当時世界一厳しい自動車排ガス規制を制定したため各企業の研究努力も
一点の基準に集中出来たため早期にこれを達成し自動車が膨大に販売可能となり自
動車排ガス対策先進国として自動車産業の隆盛をもたらした例を持ち出すまでも無
く、「規制」には極めて人間の幸福追及にとって、有益で有用な「基準・水準」を
策定し「企業の経営資源をその基準に集中させて競争させそれを早期に達成させる」
といった極めて「システム的なプラスの側面」があるのです。
ようは人間社会の経済や理想にとって「有益・有用」か「無益・無用」どうかで、
その規制が不要かどうかを論ずるべきなのです。
不要な規制はドンドン廃止し、有用な規制はドンドン制定すべきなのです。
経済的に見れば不要な撤廃すべき規制のトップに経済不況の原因に なっている
「消費に対する規制」が上げられます。 
(2)促進  促進とはそのままの状態に置くと進展しない物事を意図的に進展させ
る手段を言います。
促進分野は自由にするだけでは実現しない分野を利益誘導したり、協同意識の育成
等によって意図的に実現する方法です。
営利になじみにくく進展しない分野を補助金や金融制度や利益取り扱いで誘導する
ことを言います。
しかし良く調べてみると分かるが、営利になじみにくい分野は考えられているより、
はるかに小さいのであります。
現在国や地方公共団体などが行っている事業の大部分は「適切な規制を行ったうえ、
達成すべき基準を示し、しかもそれを常に基準を満たしているかどうか監視するシ
ステムをつくり複数企業における自由競争下において民営化できる」のであります。
規制の実例を述べればたとえば消費税は消費を規制するために「消費税」を課税徴
収し、「所得税、法人税」は国民の所得を規制するために所得税、法人税を課税す
るのがその本質なのであります。
学者やエリートは税は規制ではないと主張するでしょう。
色々と論理を展開するでしょう。
しかし課税される側にとっては等価理論によって「税金」だろうが、「罰金」だろ
うが取られることには変りなく規制の効果が発揮されるのです。
したがって納税者は消費税の場合は個人消費を出来るだけ少なくするように努力す
るし、所得税の場合は個人所得を多くなり過ぎないように努力することになるので
す。
とすると「要はどちらの規制」の方が、「資本主義社会の発展や国民の幸福にとっ
て望ましいか」の判断に帰着するのであります。
さて駐車違反は反則キップを切られ経済的損失が出るので、守るのであり、単に道
徳的に悪いと思うだけで守る人は少ないのです。
例えば鉄道のキセルでも磁気キップによるコンピューターによる管理体制が強化さ
れ不正が簡単に見つかるようになり、多額の罰金が課せられるようになった途端キ
セルが大幅に減少した事実こそ人間の本性が現れています。
奇麗ごとの学説や論理などで人間はなかなか動かないのです。
資本主義経済下において本人以外の第三者へ所得を稼得させるという利他的結果を
もたらす消費を規制する消費税という消費規制税制と法人税、所得税などの自己の
所得獲得という利己的な結果をもたらす所得を規制する所得税・法人税という所得
規制税制と、どちらが経済発展へ寄与するかその利害得失について本書は述べてお
ります。


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