(現代経済学の限界)

さて現在の進化論の有力な学説では14万年前猿人・旧人から進化しアフリカに一
人の女性(イブと仮称されている)が突然変異で大きな「脳」と「知能」もって誕
生し、その女性の子孫が本能的に獲得した「利己的遺伝子」に操られながら、他の
何百万の生物には無い自らの「文化と科学技術」を作り上げて生物学的な繁栄を重
ね、現在地球上60億人に達しているのであります。そのイブの誕生は正に「神」
のなされたことなのか、進化の「必然」なのか又は「偶然」なのか、検証のしよう
もありませんが、人間自身の力では無かった事だけは確かです。
人間は猿の遺伝子とは塩基配列がわずかに異なっているだけに過ぎません。
しかしその僅かな違いが、40億年前の地球の誕生から現在までの全ての事象や概
念を「研究」し「認識」し「記録」し、さらにこれらを生み出した宇宙やそれを形
成している素粒子やそれから生み出される概念を「研究」し「認識」し「記録」し
「自らの人間の存在そのものの本質」を突き詰めようとしている他の生物には無い
特徴(過剰性)を持った生物でなのです。
さて近年企業経営者やその従業員はダラダラと続く長年の不況に耐えながら、その
不満はいつまで不況に耐えれば明るさが見えて来るのかの一点に絞られています。
元々経済学は後述の「無から莫大な有と富を生み出す学問」である本質や「第四の
論点」で述べているごとく、その基本的な理論を理解する必要がありますが、同時
に経済学のみでは明確な「限界」があり万能でないことを本質的に理解する必要が
あるのです。
さて景気・不景気の循環過程を成熟経済に達した日本の経済システムが失い、不景
気の連続で失業率の上昇(特に若年失業者の急増は将来深刻な問題に発展する可能
性がある)、企業倒産の続発、自殺者の急増、犯罪の多発と不景気の連続による社
会不安に陥っている日本経済の現状に対して、日本の俊英・エリートが集まった経
済学が「金融政策と財政政策」以外に何ら景気回復のための明確な対策らしい対策
が取れないのは何故でしょうか。
まずこのことから説明しなければなりません。
まずそれは経済学という学問は狭い意味で科学的であろうするために「再現性」を
重視するあまり、多数の与件(前提条件)の上に成り立っている学問であるという
ことです。 つまり一定の前提条件の上で1つの政策を実行したら結果は概ね同一
になるという狭い意味で科学的であろうとするあまり再現性を重視した学問に発展
したからであります。  つまり人間の行う経済活動という他の全ての生物には無
い人間の過剰性の本能、特性から生じた複雑怪奇なものを狭い意味で科学的に再現
性のあるものとして表現する為に経済学が各種の与件(前提条件)の上に研究せざ
るを得ない宿命があったのです。  したがって現代の経済学では前提条件の無い
実際の経済環境では常に正確な回答は出せないのです。

そこで最先端のコンピューターを駆使した最先端の野心家の経済学者の指導のもと
に株投資を実行して失敗し、莫大な債務を抱えている例はアメリカでも日本でも無
数にあるのです。      ここに経済学の限界があるのです。
それでは経済学の前提条件とは何なのでありましょうか。
それは学派により若干の差はありますが、
概ね 1.人間の欲求 2.人口 3.自然条件・環境 4.科学技術 5.過去から
蓄積された資本 6.社会制度 などであります。
つまりこれらは原則的に前提条件として経済学の分析対象つまり研究対象からはず
されているのであります。

つまりこれらは成熟型経済に重大な影響を及ぼす問題ばかりであると我々大衆は直
感的に経験的に実感しているのですが、経済学ではごく一部の学者しか実証的研究
を、ほとんどしておらず経済学の主流となっていないのであります。
それはこの分野が余りにも複雑であり、経済学の前提として経済学研究の主流から
はずされていること、さらにこれらの解決には各国の政治的思惑や国民感情の分裂
という問題にからむため、研究自体が批判を受けやすく実証的研究がなおざりにさ
れがちな分野ばかりだからです。
したがってこれらの問題については、研究対象ではないため経済学の主流の大御所
と言えども大衆と同程度位の知識しか持ち合わせていないのであります。
つまり潜在需要が大きく、供給力が過少である発展途上国の経済運営においては金
融政策、財政政策中心の科学的な再現性を重視した経済学で十分であったが、科学
技術が発達し、資本の蓄積も巨大になり潜在供給力が顕在需要(例え潜在需要は膨
大でも)を大幅に上回った先進諸国にとっては従来の再現性を重視した科学的と言
われる経済学だけでは到底景気の回復や景気の循環過程の回復などは達成不可能に
なったのであります。
特に経済の原点である最終個人消費が政府財政支出と比べ物にならない位巨大化し
た先進国では、将来の税金の前使用である政府の借金による財政政策などと言うも
のは限界があるのは当然でありかつ効力は単発で持続性が乏しくその効果も大きい
ものでないことは明らかなのです。
つまり「財政政策」「金融政策」のみの経済政策だけでは成熟した経済社会を持つ
先進国においては到底経済の回復などは達成出来ないのです。
もちろん「財政政策」「金融政策」については経済学の専門分野であるので経済学
者をもっと積極的に重用する必要があります。
しかし経済学の研究対象外の経済周辺分野については「進化論」「心理学」「シス
テム工学」「経営学」等の専門家さらに現場で現実と日々向き合っている第一線の
若手公務員を登用しこれらを研究者として育成し、それらの研究分野を「費用対効
果・価値分析(VA,VE)」を考えながら競争研究させることが重要であるので
す。
エリートの出番は根本的な最終決定権者である国民大衆に対する助言者の役目を徹
底して果たし、情報公開社会の中いくつもの選択肢を提案し賛成反対の国民的議論
を重ね、時間をかけて世論の収束する方向を見極め、さらに詳しく経済的検討や経
営的検討や政治的検討を加え少なくとも3案以上(これが重要)の選択肢を内閣や
国会へ提出すべきなのです。
つまりエリートの地位が後述するように国民大衆の助言者としての地位(スタッフ
として)が正しい以上、国民の意志を確かめながら国会や内閣へ国民大衆を真に幸
福にするために役に立つ複数の計画案を計画立案者として提言することはエリート
の努めであります。
そしてその複数案から未来を見通す目を持って国民大衆とともに考え一つの案を選
択することを国会議員が経済的予知能力や経営能力や政治能力や経験を発揮して国
会や内閣において正しい決定判断をすることを求められているのであります。
決定するということは「複数案から選択する」という概念を含んでいることを忘れ
てはいけません。
すぐに決定権者でもないエリート官僚の計画立案者が一案だけに凝り固まり固執し
たり、国会議員もこれを許す日本人の悪弊を直さなければなりません。

比較検証すべき代替案と「費用対効果分析・価値分析(VA、VE)」「将来への
発展性」を、よくよく比較して不確定な未来を見据え国会議員は国民大衆とともに
考え判断し決定しなければならないからです。
これはこのバッターにバントさせるかヒッティングで行くかはチームの最高責任者
である監督の最終の決断であり、勝つために最も有効と考える複数の選択肢から一
つを選ぶ当たり前の行為なのです。

しかしながら日本では多くの場合国会議員へ計画案が提出される前段階で既に一つ
にまとまっている場合が多く複数案から選択できなくなっているのであります。 
国会議員は内閣と国会の構成員であるが、全ての国民の利害に関係してくる重要問
題については形式的な公聴会ではなく実質的な最終決定権者である国民大衆にもマ
スコミを通じて公に活発に議論させ常にあらゆる分野の重要問題を複数の選択肢を
元に議論させることが大切と考えています。
したがって金融政策や財政政策ばかりでなく経済学で研究対象から外されていた分
野の「人間の欲求の分析」・「人口政策」・「自然条件・環境問題」・「科学技術
政策」・「資本の蓄積」・「社会制度の徹底的研究」などがともなって始めて日本
経済の再成長や経済発展が可能になるからであります。
例えば消費税問題は経済学の主たる研究対象以外の「人間の欲求」「社会制度」の
分野であり、経済学の与件であるので経済への影響性を事前に詳しく分析研究して
導入していたわけではないのです。
この経済学の弱点を知ろうとしなかったことが経済政策失敗の原因なのです。

さてこれらの問題を取り入れて研究すると、経済学は複雑になりすぎて数量的に再
現性を重視した科学的な学問から離れてしまうという批判が当然出ると思います。
しかし私は再現性を放棄しても「結果として経済が発展する道を模索するプラグマ
チックでシステム的な手法」の発見こそが現代の社会に求められていると思ってお
ります。
例をあげれば経済学より遙かに近年発達した経営学があります。
経営学者が経営をすれば経営は成功するかと言えば「否」であります。
日本の経営学発展の初期に起こった、経営学者が会社を経営して失敗した実例は参
考になります。
しかしながら経営学を良く勉強した優秀な経営者が経営する会社は大成功を収めて
いる事例は多いのです。
つまり経営学は経営者の全人格をリーダーシップとして捉え重要視するので経営者
の人格は個々別々であるため再現性はあまり無く必ずしも科学的とは言えないが、
それらを明確に解説しあらゆる前提条件無しで個人の能力の重要性や組織の運営方
法を教育する経営学は「経営者教育学とも理解され」社会にとって極めて有益な学
問なのです。
つまり経済学もこのように「社会に役立つ経済学」つまり与件や前提条件なしの
「経済エリート教育学」としての経済学の形態も必要であると私は考えているので
す。
つまり優秀な経営者が良く主張する「未来を見据えた前提条件無しのフリーハンド
からの企画提言こそ」重要なのです。
私は主として本書では経済学の与件(前提条件)として経済学の研究対象から外さ
れている社会制度の分野と人間の欲求の分野である「経済の進化が達成される前提
となる政治のデシジョンメーキング(意志決定)における正しい進化システムルー
ル導入の必要性(政治改革)」と「経済の進化システムの基本となる人間の欲求つ
まり消費の本質の理解」と「経済進化論から導き出される消費税制を縮小廃止すべ
き論点と所得税制を重視し拡大すべき論点による税制への経済進化システム導入の
必要性(税制の改革)」を中心に述べて日本国経済の再生に寄与したいと考えてい
ます。
大きな問題は日本の国会議員・中央官僚をはじめ日本のエリート層が、経済学者は
経済のことは全て研究し科学的に述べている万能なものだと勝手に誤解して自らの
主体的な経験を重視せずに経済学者の言動に余りに影響されすぎているし、また逆
に経済学者を利用しようとしすぎている点であります。
これは経済学者の責任ではありませんが、この経済学の欠点の本質を誠実に正直に
把握しておかなければなりません。
現代の経済学は前提条件が多すぎて、複雑な社会に対する効用は極めて限定された
ものだというクールな視点がまず必要なのです。
そして経済学で研究されているもの以外の分野の方が現代日本では経済の発展に重
要な要素になっているという観点が必要なのです。
まさに経済学の主流研究分野以外で経済社会システムを発展性のあるものに構築し
続けている現代のアメリカ経済がその典型なのです。
したがってアメリカの高名な経済学者であるガルブレイスやサミュエルソンやトフ
ラーなどは経済学の限界をいつも謙虚に述べているのです。
現在の日本の「金融政策」「財政政策」はこれ以上の方法が無いほど良くやってい
るし、膨大な税金も投入しています。
しかしながら「良い結果」が殆ど出ていません。
「結果」が出ない上、費用対効果が最悪であり、このままでは将来に大きな禍根を
残すことは必定であります。
このように「金融政策」「財政政策」を懸命にやっているのに、何らの効果が現れ
ないのは、「これは財政政策や金融政策で解決できる問題ではない」「異常状態で
ある」という現実認識が、日本のエリートに何故議論にあがらないのでしょうか。
日本人の持つ「事実を事実として素直に認めようとしない悪弊」と「複雑な問題や
巨大な問題は人間の手にあまり、制御不能であると勝手に感じて思考放棄を行い、
なすがままに成り行きに任せるといった悟りの境地に逃避する悪弊」を正さなけれ
ばならないのです。
全ての決定や判断は「神の手」に委ねられているわけではなく「人間の手」に委ね
られており、すべては変更や改善可能なのであります。
本書では「常識を超えた」論理を展開しがちな「ヨーロッパ大陸哲学」(全体主義、
共産主義を生み出した)の危険性を常に意識し、常識を重んじる「イギリスの経験
論哲学」から発生しアメリカで発達した進化論の影響を極めて強く受けた「プラグ
マチズム哲学」や日本古来の実学や陽明学の考え方を基礎にしています。
さらにイザヤ・ベンタサンが述べている如く日本語の具体底の無さと言葉を語呂盤
のように無意味に羅列する事によって起こる危険なコンセプトの一人歩きの危険性
を常に意識し、常識に基づき分かりやすく(くどくて冗長な文章になることをお許
し下さい)説明したつもりであります。
我々人類は自然システムという進化論つまり進化システムの中で生きています。 
したがって我々の行動自体が進化システムのもとで行動することが最も自然であり、
日本の若者をはじめ多くの国民が無意識に進化論を取り入れて発達したプラグマチ
ズム哲学のアメリカに惹かれるのは当然のことであります。
さて人間の本能には利己的遺伝子に基づく利他的行動(協同意識)と利己的行動
(競争意識)が併存しています。そして人類が自然システムの中で生き延びていく
にはいづれの意識も同時に重要で、国民全員の持つその本能を同時に利用しながら
国家を運営し「国民一人一人の幸福を追求し結果として国民全体の幸福を国民とと
もに追求するのが国家の役割」なのであります。

それでは「経済成長」はなぜ人間や経済にとって必要なのでありましょうか。
これは国民の幸福を追求する権利と憲法に規定されたことへの実践と解釈すれば概
ね合致していると思います。
つまり科学技術の不可避の発展に伴う労働生産性の向上に伴って不可避に発生する
膨大な失業問題を解決するには経済のパイを増加させる経済成長が必然的に必要だ
からであります。
これこそが憲法で保障している幸福を追求する権利の実現だからであります。
国民を失業させ、希望のない生活を送らせては、憲法違反なのです。
この不可能に挑戦することこそ国家の基本的な役割なのです。
そして経済が成熟経済つまり供給力が顕在需要(潜在需要ではない)を上まわりは
じめた段階まで到達した場合、どのようにして経済成長を維持することが正しい方
法であろうかという問いに対して本書は回答を試みたものであります。
さて経済成長を実現し景気を良くする手法として現代経済理論は
1.ノーベル経済学賞を与えられたソローモデル経済成長理論という科学技術の
進歩による新しいアイデアと生産性の向上による供給側の生産の拡大。
2.財政政策と金融政策による供給側の生産拡大への調整と後押し。
の2つの手法を与えてくれています。
しかしながら本論文では「経済成長の仕組みが個人消費の増殖機能に大きく依存し
ている事実」を解き明かすことによって財政政策や金融政策は一部の国民の行動や
意識に間接的で弱い影響しか与えない事実に対して「今まで経済学の前提条件とし
て研究対象からはずされていたために、経済成長とは無関係と誤解されていた社会
制度である税制は実は全ての国民の行動や意識に対して強制的に強力な影響を与え
る原因であることを発見したのです。」
近年の15年間の経験で、間接税制は、予想とは全く異なり税率アップの増税
をすればするほど個人消費を規制抑圧し、景気が悪化し、あらゆる資産価値は
下落し、失業率は高まり、そのため他の税収も減少し、更に景気悪化による後
ろ向きの財政支出ばかりが増加し、財政再建には全く役立たずの税制であると
確信されたと思います。
これに対して「直接税制」は経済の出発点となる「個人消費を抑圧せず進化シ
スム機能を100%
発揮できる」こと、「国民の所得階層別消費性向に適応し
たシステム設計を税制に取り入れ、国家全体の個人消費を高いレベルに維持で
きること」など経済成長の自然な促進に利点があり、長い日米の経済史の中で
直接税制は税率アップの増税をすればするほど、景気は良くなり、資産価値が
安定し、国家全体の個人消費が増加し、高い経済成長を維持され、後ろ向きの
財政支出が激減し財政再建に非常に役立つ大きな実績があります。
直接税を増税したために資産価値が暴落し失業率が極端に悪化し長期不況に陥
った事例など皆無なのです。
逆に直接税の大幅減税は通説と全く異なり既に皆様現在経験されている通り、
常に資産価値の暴落と失業率の極端な悪化等の不況と更に財政悪化に悩まされ
ることになるのです。
そして何故そのような結果になるのかを「所得階層別消費性向」「個人消費の
進化システム機能」を詳しく調査分析し、税制の目指すべき方向性を理論的に
解説し、過去の日米の詳しいデーターで検証したのが本論文であります。



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