(第一の論点 日本の4つの国家目標の設定)

国家目標の設定が重要なのは「国家目標」を設けることが進化システム上の正しい
ルールを作り上げる「目的」ための「手段」となり、国家目標という「結果」は必
ず進化システムの正しいルールが作動することが「原因」となって達成されるから
であります。
つまり「国家目標」と「正しい進化システムルール」とは正に自己回帰的な関係に
なっているからであります。
自己回帰的とは因果関係論から言うと「結果」が目的論的に「手段」になり、因果
関係論の「原因」が目的論の「目的」の関係になり得るときに自己回帰的と表現し
たいと考えています。
さて日本の根本的な政策(ルール)の中に国民大衆が常に疑問に思う点が多々ある
のは、この国家目標の曖昧さから出てくるものが多いのです。
未来を見据え正しい国家目標を設定することは、「正しい進化システムルールを制
定するために重要な作業」となります。
民間企業経営では総資本利益率という最重要な指標(企業目標)があります。
この目標は資本を増やしながら利益も増やさなければならないと言う正に不可能に
対する挑戦であります。
そこで一定数値又は一定範囲数値の総資本利益率に近づくために民間企業の取る行
動は最小の資本で最大の利益という相矛盾する概念を常に視野に入れつつ行動する
ようになるのです。
また健康について考えてみると人間ドックを経験した人ならすぐにお分かりになる
と思いますが、各々の指標がある一定の範囲内に収まる項目が大部分であることに
気が付くと思います。
健康でさえ一定数値又は一定範囲数値に収まることが大切なのです。
同様に国家目標も最重要項目について一定数値又は一定範囲数値に収まるよう最大
限度の努力(これに反する政策は一切とらない)をすることが大切になるのです。
そこで何を国家目標にすべきかは、アメリカ、ヨーロッパ諸国の国家目標を参考に
しつつ未来の日本の民族としての生存と維持発展のために、日本の国家目標は次の
4点にすべきと考えています。 

1.第一の国家目標
人間の社会経済における進化発展が素直に進む根本要因が個人の自由(フェアーな)
と平等(対等な)と幸福を追求する権利を遵守する基本条件を確立することである
ので、これを国家目標の第一点に据えるべきであります。
個人の自由(フェアーな)と平等(対等な)概念の国家的確立は経済成長のソロー
モデルにおける個人は時間の一定割合を技能蓄積に使いアイデアのストックにあて
るという仮定を促進するためには「人間個人のフェアーな自由と対等な平等の競争
環境の実現」は何にも増して重要であるという点と進化システムは国民全員の幸福
の追求を対象とするシステムである以上進化システムのルールを最適化するために
は「人間個人のフェアーな自由と対等な平等の競争環境の実現」が国民の最大公約
数の正しい方向性を持った経済成長の実現のためにどうしても必要なのです。
特定のエリートや権力者の判断が優先されると競争が正しく行われず、進化の正し
い方向性やスピードを持った経済成長が達成できないのです。

2.第二の国家目標   
アメリカと同じく「失業率」とその反対目標である「物価上昇率」の両立低下の同
時達成。
人間の努力と科学技術の発達から必然的に供給力の増大は避けられないことから、
その供給力の増大を吸収する人間の本能や良き常識に基づく経済の過剰性の拡大つ
まり個人消費を信頼し規制せず需要(消費)を伸ばし必然的に経済成長(国民一人
あたりの供給の増大と需要の同時増大)を成し遂げ「結果」として「失業率とその
反対目標であるインフレ率」の同時低下を達成出来るのであります。
そして人間は地球環境の自然システムの中で生存して進化していかなければならな
い存在であることを自覚し、常に科学技術政策に反映すること。
つまり経済の過剰性の拡大について良い方向性を保つ努力をすること。
そして国民大衆が地球環境への配慮を目指すならば、その促進需要を信頼し実証的
研究を行った上、経済成長の方向を地球環境に良い影響を増加する政策へ方向転換
する最大限の努力をする。つまり国民の望む地球環境へ良い影響を与える商品需要
が、現実に経済成長をもたらし地球環境に優しい科学技術の発達と、それらの経済
コストを負担できる社会を実現できるのです。その意味で社会が低コストしか負担
できない中途半端な経済発展は地球環境へ最も害悪を与えるのです。 地球環境へ
影響の少ない人間社会を実現するには、産業革命以前の戦乱と飢餓や疫病の世界、
更には鉄器、青銅器以前の古代生活へ戻る選択肢が一つと、経済と科学技術を徹底
して早く発展させ地球環境へ影響の少ない科学技術の進歩と、それらを活用して生
活する高コスト維持社会を、まず先進国で完成し、それを早く低コストで維持でき
る技術を開発し、全世界へ普及しなければならないのです。その意味で地球環境の
維持と経済成長はトレード・オフ(取引)の関係でなく、方向性は歴史的に全く同
一方向なのです。 経済成長を低下させれば地球環境へ望ましい結果をもたらすと
言う考え方は、独特の本能を持つ動物としての人類の特性と全く合致しないのです。
経済成長は人間の望むままに自由にして科学技術が発達する経済的基盤を与え、地
球環境に悪影響を与えるものは、国民の望むままに選択的に遠慮会釈無く規制する
という「人間の自由意志を尊重する立場が最も望ましい経済政策」と考えています。 
「規制」は競争条件の均一化をもたらし、有意義な目標になりうるからであります。
まず悪影響を与える問題を「経過措置と経過期間を示して遠慮なく規制を強化し」、
産業界に「規制基準」を示し国内の対等競争条件を明確化し、少しコストが高くて
も地球環境に無害な商品、サービスの自由な研究を「促進」し、普及をはかる。
つまり経済の過剰性の拡大の一つの方向性を示すことであります。
ここに人間の消費者と労働者としての一人二役性と需要と供給の等価性ならびに時
系列的な無限連鎖の中で「より良い生活の追求と常に目新しいものを求める人間の
持つ意欲」が不断の科学技術の発展という現実と重ね合わされて、無限の可能性を
秘めた経済の発展を約束しているのであります。しかも私個人の楽観論かもしれな
いが、その無限の経済発展が「悪しき方向に進むか良き方向へ進むか」については
成熟化した経済環境では「プラグマチズム、大衆主導の民主主義、表現の自由、情
報公開」が進めば「大量の大衆の遺伝子が持つ種と自己の生き残りたいと渇望する
遺伝子」と「現代文化」に基づく利己的判断、利他的判断を通じての「選択(購入)」
によって「必ず良き方向へ向かう」と確信しています。
それは机の上で統計や数字を操っているエリートと異なり、常に現実と向き合って
いる大衆の良き感情、良き風習、コモンセンスに基づく直感の方が、遥かに正しい
ことが多いと言う現実があり、であるからこそ多数決の原理に基づく民主主義のシ
ステムが最良のものとして定着しているからである。値段の安い遺伝子組み替え食
品よりも、値段が高いが安全と思われる自然食品を区分するために「表示の義務付
け」を求める大衆運動などや、寄付大国のアメリカにおいて良き慣習である民間福
祉が日本やヨーロッパと比較して遥かに発達し政府の社会福祉政策を大きく補完し、
その民間福祉事業に雇用されている職員数が、全アメリカの労働者数の6.9%に
上っている現実は良き感情、良き慣習の重要性と効率の良いサービス業やサービス
業に近い低生産性部門の重要性とその在り方を示唆しています。
もしアメリカにおいてこの低生産性分野の発展がなければ、失業率は大幅に増加す
るのは目にみえており、寄付という所得分配効果のあるシステムの重要性を実感す
るものであります。
つまり経済というものは、大衆を突き動かす良き方向を見定めながら、その通りに
実現してあげて行く所に、発展があるのであります。
つまりこれがまた新しい「選択(購入)」を通じて需要の創造や21世紀に最も重
要な課題となる所得の分配や失業の解消、環境問題の改善につながっていくのであ
ります。
現実の社会では国家にとって高労働生産性産業だけが重要なのではなく、低労働生
産性産業の在り方がより重要なのであります。
国民全体を進化させなければならない国民の幸福追求の進化システムから見れば労
働力を吸収する良質な既存の低生産性企業の発展は高労働生産性企業発展の基礎に
なるからであります。
結論として物やサービスを選択して購入するという消費需要行動は、「社会的に見
て深く深遠な意義」を持っており、そしてそれを生産(供給)している企業の盛衰
に関りまたその従業員(労働者)の給与などとして所得分配される訳であります。
つまり消費需要行動が減退すれば、当然のことながら企業業績は低迷し所得分配は
減退し、失業者が増加し社会経済が停滞するのは当然ことなのです。
さらに発展途上国を見れば直ちに理解出来るように、所得税や法人税等の所得規制
効果のある直接税制度(所得の調査手段を含めて)が未発達な国では、所得分配シ
ステムが働かないため、少数の大金持ちの権力者と購入余力の無い大多数の貧困層
に分極化され(何故所得分配が進まない社会が経済発展しないのかは後述)、結論
として経済の発展は遅々として進まないのであります。 したがって21世紀経済
における重要な課題は科学技術の進展に伴い休みなく向上する労働生産性の中(不
可避的に失業は増大する)で、いかにして大衆の消費需要行動の意欲を阻害するこ
となく良き方向への需要を増大させそれによって新産業を創出し、失業者を減らし
所得分配を達成できるかの一点にあると考えています。これには「良き感情」「良
き伝統」「良き法律」「良き管理システム」への「啓蒙思想」が重要になります。
何が「国民にとって良きか」は「情報公開」と「表現の自由」の中で、時間はかか
るが国民自身が「その文化と人間自身が本能的に持つ生存のための利己的判断、利
他的判断」に基づき「選択」し結論を出して行くものであり、私は人間の英知を信
じ全く心配していないのであります。心配しているのは唯一、物やサービスを選択
して購入するという「消費需要行動の発現においてこれを直接的に阻害する規制つ
まり消費税」が日本経済の根幹に存在することであります。
消費そのものに課税している国々では一様に失業問題に苦しむのは当然のことなの
です。しかも国民の一割近くも失業者が出ることが予想される税制をこのまま継続
し「国際競争力うんぬん」など言うこと自体エリートの机上の空論でしかないので
す。    労働人口の90%しか生産に関与させられない国と97%が生産に関
与している国とでは、どちらが国家としての力量があるか、国民の幸福を考えてい
るか子供でも分かる話しなのです。        

3.第三の国家目標
合計特殊出生率の2.0−2.1の維持(低すぎても高すぎても望ましくない)と
日本国の国土に適した最適人口の設定
これは日本民族の維持保存の必要性と同時に日本国憲法で規定されている国民の幸
福を追求する権利を実現するためには、最低限度の経済成長は必要であるための基
礎条件(ソローモデル、ローマーモデルの人口要件でも明らか)だからであります。

4.第四の国家目標
日本の貿易収支をゼロに近づけ、円の為替相場を購買力平価に近づけること(大き
な貿易黒字赤字共に望ましくない)

さて上記に述べたような四点の国家目標は論理的に意図的に相反する原則が混在し、
全てを満足させる事はできないことばかりであり、達成は無理であるという主張が
必ず出てくると思います。
しかし経営学の知識を少しでも持ち企業を経営した経験の持ち主ならすぐに気づく
と思いますが、経営原則である「安くて、性能が良くて、品揃えを豊富にする」な
どと言うことは、論理的に相反する矛盾する内容が含まれており論理的に達成は殆
ど不可能であるのに、日常的にこの問題に挑戦し日々企業経営にいそしんでいるの
が経営者であり、その会社の従業員なのです。
さらに健康のために血液検査の数値に一喜一憂し、健康のために食生活や生活習慣
に仕事内容と常に折り合いをつけ健康維持という不可能に挑戦し続けている皆さん
の実感と国家の運営は全く同じで、目標を追い求め続ける姿勢と努力にあるのです。
つまりエリート官僚も各界のエリートも企業経営や人間の健康と同じく論理的に不
可能な国家目標に向かって常に挑戦し努力し続けなければならないのです。
つまりこれに反する政策は一切取らないと脇目も振らない覚悟と決心が必要なので
あります。
さてこれらの国家目標の根本は「税(国の運営費用)の実質的負担者(例えば法人
税や所得税でさえも商品価格の原価に算入されて実質的に消費者が負担しているの
であり人間が負担しない税金などあり得ないのです。)である国民」と「全ての政
策の実質的受益者である同じ国民」が国の判断の最終決定権者になることが最も敏
感に最も適切に政策の善悪、適不適を判断でき、長い未来を見据えたそれ自身自動
均衡作用を持つ調和のとれた国家目標を達成するためのルール下で政策の良否を自
己責任原則で貫徹することが結果として最も効率よく国家目標を達成出来るのであ
ります。
さてこのうち第一の国家目標と第二の国家目標と第三の国家目標については「アメ
リカは国家目標」として完全ではないにしろ多くの点で達成済みであり、長年の努
力にかかわらず「これらを達成できない原因を内包する」「ヨーロッパ大陸諸国」
と「日本」は未達成であります。
ここに私がアメリカに範を求める理由があるのです。
但しアメリカが株式などのキャピタルゲイン所得を重く考えアメリカ国民への株式
重視の政策の促進(結果的に基軸通貨ドルを活用し企業の自由な資金運用を重視す
る政策)はドルという基軸通貨の発行権限を持たない日本の取るべき道ではないと
考えています。
特に隙があったとは言えタイ経済、ロシア経済、韓国経済を食いつぶし莫大な利益
を上げた人為的な「資本の論理の貫徹」を民間に許す手法は、とても我々日本人が
理解できるものではありません。
この小鬼達の利益のために現実に何千万人の人々が苦しんだからです。
もちろんこの荒療治によって、それらの国々の「経済の膿」は大きく改善されたと
しても、私には感情的にとても容認できない手法です。
これらのことが私がアメリカの哲学に惹かれながらも礼賛しない理由がお分かり頂
けたと思います。
日本の円(もちろんアメリカのドルも)とて現状のような不均衡な政策をとり続け
ると、いつ狙われるか分からないのです。
つまり経済は自由に任せるのではなく、人間の健康と同じく常に人為的に適正値に
近づける努力が必要なのです。
したがってアメリカと異なり日本の取るべき道は国民一人一人の「勤労の重視(個
人の努力と成果の重視)」であり、「消費は人間しか行わないという経済進化論の
厳然とした事実」から「消費の自己回帰原則を重視し消費規制の緩和撤廃と適正な
所得分配の重視こそが経済発展の道」と考え、消費規制の大幅緩和と勤労所得と所
得分配を最重要視する政策こそが外需に頼らず豊かな日本の経済市場を作りだし日
本人の国民性に最も適合し、もっともふさわしいと考えるからであります。
そしてそれが結果として株式市場や為替市場に素直な形で良い結果を表すと確信し
ています。
そしてこの点はこの日本モデルが日本だけでなく必ず世界に通用するモデルの原型
となると確信しています。
さて世界の基軸通貨ドルの特別な発行権限利益つまりいくら赤字を垂れ流そうが自
国に大きな負担を伴わず逆にドル経済圏の拡大に役立つ利益を持つアメリカとその
ような特権の無い日本の円では全く異なる通貨政策を持たなければなりません。
ドルは対ドルのレートが無く、しかも原油など基礎的素材は世界中でドル建てで決
定されているものが多くアメリカはドルの価値が上がろうが下がろうが「国内価格
については為替相場に大きく左右されることなく概ねシングル・スタンダードで産
業政策を立案できるのです。」 
つまり日本ではまず原油は一バーレル何ドルかで決まるので、更に対ドルの為替レ
ートによって経営者も消費者も円に換算し商品価値を決めるという二段階方式によ
って経済判断も政策も統計も行っているのです。
ここが一段階方式のアメリカ経済と根本的に違うのです。
そこで日本の貿易収支をゼロに近づける政策を国家目標にすべきと提案しているの
は、日本円は基軸通貨ではないと言う一点にかかっており、あらゆる経済的価値を
「価格で正確に判断し比較検討する」ことが経営学、経済学、産業政策を始め企業
経営の基本であり、国民にとっても消費行動の基本であるからであります。
「適正価格を比較するためには」「国内生産原材料と海外輸入原材料との競争力比
較の同一条件化」及び「国内労働力と海外労働力の適正比較の同一条件化」を確保
するという経済の原点である「同一条件下での競争」を実現しなければならない真
の産業政策上の極めて強い必要性があるからであります。
このためには貿易収支をゼロにする政策を常に意図的に人為的に採らなければなら
ないのです。

価格は規制効果を持つことは既に明かにした通りであり、であるからして商品の適
正比較が可能な商品価格(購買力平価)の為替相場を維持することは産業政策およ
び消費者政策上国家の責務なのであります。
そしてこの購買力平価は経済企画庁の統計でも常時把握されており、さらに経済学
の理論構成を行う場合購買力平価は重要数値となるのであります。
さらに1987年ノーベル経済学賞を受賞したロバート・ソローの経済成長理論ソ
ローモデルの仮定には経済成長理論の単純化のために「国際貿易は存在しないこと
として理論構成されおり、それでも十分経済成長が存在しうることを立証している
のであります。」
さらに地球を一国と考えれば貿易収支差額はゼロになるのは当然であり、さすれば
現状の貿易制度において地球の中の一国である日本が貿易収支差額ゼロ目標政策を
取ることは正しい選択であると考えています。
これは輸入、輸出については、「労働は輸入で置き換えられる性格」を持つ以上、
成熟経済型生産構造になった場合、資本さえ投入すればいくらでも国内に生産基地
を建設できる「輸出ばかりを考える超高生産性企業」の存在は「労働を輸入で置き
換えられる現状の経済システム」と組み合わせた場合発生する大きな貿易黒字は円
高基調となり、結果として海外原材料と海外労働力の不当な安値輸入をもたらし国
内経済を適正な方向へ発展させる上での大きなマイナス要因になり「国民のための
経済にとって、その存在は害悪」ですらあるのです。

つまり国内需要をオーバーするような超高生産性企業は需要が豊かで供給力が乏し
い国外立地を求めるべきなのです。
その上で購買力平価になれば日本の輸入には不利になるので、ここに日本国内需要
向けの日本企業の歯止めの無い国外脱出への抑制作用が働き自動均衡作用が働くの
です。つまりそうなれば日本企業の国外脱出は、日本国内への安価輸入のみを目指
すのではなく、主としてその外国自身の真の需要と供給に役立つときに限定される
ようになるからであります。

人間のための経済であるためには、アメリカが常に取り組んでいるように「失業問
題の解決は最重要課題になります。」
成熟型経済においては「企業の労働生産性が極端に向上してくる」ので、良質な多
数の低生産性企業の存在と育成が最重要なのであり、それなくしては「超高生産性
企業の存在の容認」も「失業問題の解決」も全くできないからであります。

そしてそのためには経済の重要政策である「価格政策」において「消費は国民であ
る人間しか行わないが」「供給に伴う労働は機械や輸入という人間以外に置き換わ
る」性質を持っていることに厳しく留意しなければならないのであります。
更に「人間は幸福を追い求め消費を所得に変換して自己回帰的な経済成長を計る経
済生活を送っている以上」、「労働者への所得分配の基本となる生産競争において
適正な価格政策での輸入物と競争することは対内対外産業政策上不可欠」であり、
そのためには為替相場を国内価格と海外価格を同一物価水準で比較できる「購買力
平価」に近づける貿易収支のゼロ政策を絶対に取る必要があるのです。

そして日本のように加工貿易国家における輸出入政策は「輸入代金の支払いを確保
するための輸出に徹する基本方針」が大切なのです。
つまり日本は「輸入に合わせた輸出」に徹する事なのです。
その点消費税制は日本には全くふさわしくない税制なのです。
消費税制は輸出企業へ莫大な消費税を還付し続けており、この税制の一つの側面は
輸出促進税制なのであります。
この税制は別表ヨーロッパ諸国のように輸出比率の高い国家、逆からみれば輸入比
率の高い国家つまり外需依存の高い国家にとっては無くてはならない税制なのです。
ここがヨーロッパ諸国が置かれている国家的条件と日本の国家的条件の大きな違い
の一つなのです。
ところが日本はアメリカと全く同じく輸出比率と輸入比率が極端に低い「一部の原
材料を除き生産財も消費財も完全自給自足型の産業構造をもった世界でも希な特異
な国家」なのであります。
さらに日本はアメリカと全く異なり国際的な輸出競争力が極端に高い国家であり、
世界で無制限の国際競争が可能であれば(例えば他国での現地生産せず日本国内で
の生産が無制限に許されるなら)日本製品を望む世界の消費者の数は膨大であり、
現状の日本企業と日系外国企業の世界的シェアーは極めて大きいことでも立証出来
るのです。
したがってこのような国家の良い特性を保ち生かすには、輸出促進税の性格を持つ
消費税制は日本自身にとっても世界にとっても百害有って一利無しなのであります。

したがって緊急輸入制限ばかりを発動して「他国から日本の貿易政策を非難された
り」「発展途上国の国民から資源収奪を非難されたり」「他国の産業構造を人為的
にゆがめたために非難されたり」するのを避けるためには常日頃輸出入差額ゼロ政
策をとり続け結果として適正に国内産業を維持し打撃を弱め、この購買力平価の為
替水準で日本が外国に明け渡さなければならない競争に負けた産業分野が出てきた
場合は国家の食料安保などの最重要分野を除きその産業分野を特に保護すべきでは
なく努力している外国企業へ自由に明け渡すべきなのです。
この実現には日本の場合「輸出企業」に対する「説得と協力依頼」(輸出自粛と現
地生産比率の上昇)と国民に対する「情報公開」の作業が重要な政策になります。
国民に対する情報公開は国民による、そのような企業に対する無言の圧力になるか
らであり、同時に国家と国民が情報を共有することで国家の行動の意味を国民が理
解できることであります。 
この政策はアメリカにとってもまた長期的には他の国々にとっても望ましい結果を
生じると考えています。
ただ短期的には様々な悪影響が出ますので、5年から10年の時間をかけ年月を掛
けて少しづつ確実に実行することが望まれます。
戦後35年間の昭和55年まで日本は慢性的な貿易赤字国なのに高度経済成長を続
けた訳であるから国内個人消費規制の撤廃と組み合わせれば需要面で貿易収支赤字
黒字ゼロ政策は何ら問題にならない上、不必要な円高のためにいびつになってしま
った日本の産業構造の価格形成基盤を正常に回復すると共に国内産業への所得分配
を促し国民の個人消費需要の回復を待つと共に日本が対外貿易需要に依存する体質
をやめることが他国の需要を侵害せず他国の経済政策の攪乱要因にならず、為替相
場の不当な円高を招かず、輸出企業の利益を少量輸出でも確保増進し、輸入などを
通じて製造業、農業、林業、漁業、地方の観光サービス業などの衰退を招かず長期
視点で見ると日本の実質的な競争力の基盤を強化するからであります。
さらに原材料部品や化石燃料や木材や農林水産物や海外旅行の不当な安値輸入が不
可能になり「世界からの日本の資源収奪の汚名が晴らされ」価格が適正化され、国
内の諸産業が適正に維持され、さらにクリーンな国産の代替エネルギーの価格競争
力比較が適正化されて見直されて転換が進み「価格適正化により」国内全産業に良
好な影響が出るなど「現状の原材料や部品調達の価格政策のゆがみが是正されれば
国内産業の調和のとれた競争と発展が可能になるのです」。

もちろん日本の需要に極端に依存している外国企業の経営には深刻な影響が出るこ
とは避けられない訳ですが、時間を掛け徐々にこれを実現すればその影響を少しで
も和らげることができるのです。
これによって日本市場がさらに豊かに国内消費市場へ拡大すれば「製品の品質や特
性を変えることで価格だけではない日本の消費者のニーズに合致した外国企業にと
っても再度魅力ある市場へ変身出来るのです。」
経済学では円が高いことが、良いことでは無いのです。
「商品に付される価格が適正に比較検討できる環境こそ経済のあらゆる政策の原点
だからであります。」そして多額の貿易黒字を出し「ドルを貯め込んでもそれは日
本が金持ちになった事を示さず」単にドル紙幣という無担保の証書(紙切れであり
実物経済的には何の価値もない)の代わりに高価な日本の実物商品を海外に輸出し
ているだけであり、私に言わせればその時点では無意味な行為であり、その無担保
のドル紙幣という証書が将来どのような価値で日本へ還流するかは全く分からない
のであります。

本書の提案している政策は、実は莫大な輸入とそれに見合う輸出を実現する中で適
正な海外価格との比較における適正な価格形成を行うために民間に対して国家がこ
れをコントロールすることは国内市場へ提供すべき産業政策上の国家の責務であり
自動均衡作用を持つ基本政策の根本と判断しているからであります。
アメリカでは独占禁止法、移転価格税制、ダンピング課税などで不可能と思われる
「適正な価格を追い求め」自国内の企業の国内価格や海外の企業(もちろん日本企
業も含めて)からの輸入価格に至るまで自由で好き勝手な価格形成を許さず、適正
な価格形成に常に気を配っているので分かるとおり、適正な価格形成は産業政策の
基本であり、貿易収支もコントロールせず、為替相場は市場に任せる以外方法は無
いなどの日本国の責任者の言動は全く理解できないものである。
不可能に対する挑戦こそ常にエリートは求められているのです。
円は基軸通貨である特権を持つドルとは全く異なる通貨政策を採らなければならな
いので貿易政策も異ならざるを得ないのです。
莫大な貿易黒字を容認することは、いびつでゆがんだ片寄った産業構造を日本に定
着させてしまうのです。
この問題は食糧安保、エネルギィー安保、失業安保(国内の有形商品を生産する労
働集約型産業を海外の安い労働力に置換してしまう)に甚大な悪影響を与えている
のです。
国のコントロールの方法はまず第一に「民間へのネバリ強い説得と協力依頼と国民
への広報・情報公開」であります。
黙っていればすぐに貿易黒字になる日本の環境では、海外需要に依存する場合は日
本国からの輸出という形式ではなく、先方国への生産工場の直接進出形式を取るこ
とに国はあらゆる援助をとるべきなのです。
自由貿易体制下では法的なコントロールが難しいとしてもタブーを廃して、あらゆ
る取るべき選択肢はあると思います。   
そこで結論から言えば貿易収支ゼロを常に追い求めることが国の責務であり、それ
が実現されればその時点の為替相場を容認することが民間の責務なのであります。
なんでも自由勝ってにさせることが正しい事ではならば国などは始めから存在する
意味すら無いのですから。
   



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