(第三の論点 国会議員の独立性回復と政党の党議拘束や束縛の禁止)

我々はアメリカとヨーロッパ大陸諸国は良く似たもの同士の白人国家であると誤解
しますが、実はアメリカとヨーロッパ大陸諸国は思想・哲学及び宗教など根本的な
部分で全く異なり相容れない要素を強く持っている隔絶した対極の国家なのです。
「ヨーロッパの伝統的哲学に対比されるアメリカのブラグマチズムの哲学(進化シ
ステム)の対比」「ヨーロッパ的演繹推論に対するアメリカ、イギリスの帰納推論
という論理の進め方の対比」「ヨーロッパ大陸法的成文法体系に対するアメリカの
判例法体系の対比」「ヨーロッパのエリート主導主義に対するアメリカの大衆主導
主義の対比」「プロテスタントとカトリックの対比」など根本に触れれば触れるほ
どヨーロッパ大陸諸国とアメリカの正反対の思想・哲学を感じ、それらによって今
までの20世紀の100年間各国が国家を運営してきたわけであるから、その実績
を分析しつつどのような方向が今後の日本にとって望ましいのか冷静に判断し今後
21世紀の100年の日本の将来を考える場として本書を執筆したわけであります。
さて我々日本人はアメリカとヨーロッパ大陸諸国の良いところを平行して取り入れ
ようとする悪い癖があります。
まず根本的に両者が全く異なる以上どちらか一方の哲学・思想を基本として学び理
解し熟練し取り入れ、さらに日本流にアレンジして日本の根幹を作り上げた後、そ
の根幹の哲学・思想を根底においた上他方の良いところを部分的に取り入れ合体さ
せる手法でなければ大きな混乱が生じるばかりなのです。
アメリカの建国は王族、貴族をはじめヨーロッパ政治の権謀術策や党派性の強い複
雑な政治体制から離れヨーロッパに対して孤立主義をかかげ、人間相互の「自由」
(フェアーな)と「平等」(対等な)の理想主義を掲げた移民国家から成り立って
いるのです。
したがって日本人は日本の未来を見つめ明治維新の時点と同じように伊藤博文のヨ
ーロッパ大陸志向か福沢諭吉の自由民権のアメリカ志向かを今一度根本的に考えな
ければならないのです。
江戸幕府の開国以来143年の日本の歴史をつぶさに調べてみると、日本は現在の
大部分の国家の制度的基礎を中央集権国家のヨーロッパ大陸諸国から取り入れてい
ることは事実でありますが、日本人はアメリカと親密な関係にあった時は幸せな時
多く、ヨーロッパ大陸諸国と親密な関係にあったときはあまり幸せではなかった時
が多いと感じています。
特に江戸幕府の平和開国、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦「後」など
は全てアメリカとの協調関係により日本へ良い結果がもたらされたが、逆にヨーロ
ッパ大陸列強と手を結びアメリカと戦った第二次世界大戦の期間中は非常に不幸な
時代でありました。
しかし大戦後はアメリカの自由平等精神により日本人の才能が花開き、日本が世界
一の経済大国になれたシステムの基礎を作ってくれたのはアメリカ人のマッカーサ
ー司令官であるのは確かなことです。
日本を占領したのが別の国の別人であったなら、日本が今のようには決してなって
いなかった事だけは確かと感じています。
日本の国民性も良く知らない一人のアメリカ人が天皇陛下の人間宣言、財閥解体、
農地解放、平和憲法の制定、婦人解放と婦人参政権の付与、労働組合法、労働基準
法の制定、教育の民主化、警察検察の民主化、税制の民主化など今日本で何気なく
行われている殆どのことの原点は敗戦直後の短いGHQの時代に45の基本的法律
を抜本改正する指導を行い戦後の日本の進化システムが形作られたのです。
そしてその制度の中にプラグマチズム哲学によるアメリカで磨かれた進化システム
の要素が数多く取り入れられていたのであります。
そしてそれこそが日本人の努力があったにせよ自己回帰的に自動的に日本が発展で
きた基本になったのです。
したがって私はアメリカを無制限に礼賛するつもりは全くありませんが、無一文の
敗戦から43年間で日本を世界一の経済大国まで導いた実績のある自由と平等と国
民の幸福を追求する進化システムをしっかり取り入れたアメリカの思想・哲学を日
本の基本に置くべきだと考えています。
その中で戦後第一世代の政治家の引退によって唯一完全に日本とアメリカと異なっ
てしまったのが「自由(フェアーな)」と「平等(対等な)」の定義であり、これ
こそがアメリカと異なり政党が平然と国会議員に箝口令を引き、党議拘束を行い世
論の7−80%の反対に拘わらずマスコミもこれを基本的な問題として非難せずヨ
ーロッパ的な消費税制を日本に導入させ日本の進化システムを弱体化させた根本原
因を作ってしまったと考えています。
これは「人間個人を重視するか」「政党組織を重視するか」の問題に帰結します。
私は日本国憲法が「個人」の権利と義務を至高のものとして規定し、「組織」の権
利や義務の規定が全く存在しないことを非常に重要に考えています。
したがって私は個人の人間としての絶対性を強く信じておりますので、当然個人の
能力や個性を信じつまり人間そのものを信じ、極論すれば組織を信じない立場を取
るものであります。
そして努力する人間個人、能力を磨き合う人間個人が集まって「結果として強い組
織、正しい組織が出来上がるという立場」をとるものであります。
ここにも個人の人間としての意志を重視するアメリカ思想と組織を重視するヨーロ
ッパ大陸思想の根本的で隔絶した思想の違いがあるのです。
このことは政党の取り扱いに極端な差が出ているのです。
現代日本の政治状況における極端な無党派層の拡大や政党離れは、無常のこの世に
おいて時代と共に国民意識が変化し、国民や有権者の意志を明確に代表しその意志
を明確に個人として出せる、組織に従属しない個人として強い政治家を求める有権
者層が圧倒的に増大してきているのです。
組織の持つ曖昧さ、責任感の無さ、官僚主義が嫌われているのです。
したがって政党という組織が「一致団結とか、固い絆とか、組織の論理」などを振
りかざしている時代は日本ではとうに過ぎ去り、これからもこの様な状況には戻ら
ないことは確実なのです。
この様な標語やコンセプトこそ過半数以上の日本国民に既に嫌悪感を感じるコンセ
プトになりつつあるのです。
必要な政党の条件は緩い絆の政党であり、国会採決における党議拘束を掛けない政
党であり、箝口令を敷かない政党なのです。
現状は与野党を問わず大きな問題があります。
つまり政治家一人一人を自由(フェアーな)と平等(対等な)に取り扱い能力のみ
によって組織を運営する官僚主義ではない緩い絆の政党こそ国民が真に望んでいる
政党の姿なのです。
そして国民は政治家個人の発言と行動によって「政治家を実際に国民に役立つ行動
をしているかどうかで選択しようとしているのです。」
「自由とは誰でも自由に対等に参加出来るという意味で自由であり、それを妨害す
る自由は全く認めない」とする個人の参加意志を大切にする自由がアメリカ的定義
の自由なのであります。
これは経済成長理論でノーベル経済学賞を受賞したロバート・ソローのソローモデ
ルにおける「人間個人の技術や技能の集積」こそ経済成長の源泉であるという経済
成長理論を基本にしつつ、これを強力に促進するためには「進化システムの徹底し
た導入が不可欠であり」これには人間個人の参加意志を最大限度尊重し、これを妨
害する行動は徹底して規制したうえで自由(フェアー)に平等(対等)に競争(協
同)させ結果として人間環境へ適応した政策が生き残り進化が起こるのであり、こ
の方法によってのみ国民の望む方向を目指した社会の発展や経済成長を達成出来る
のです。
つまり消費という消費市場への人間の自由な参加の意志表現に規制を加えないこと
とこの様に定義された人間個人の自由と平等を日本のあらゆる政治経済社会分野の
統一基準として明確な意志で導入することが大切になります。
そして参加の自由が国民全員に保証されると国民はあらゆる問題に積極的に挑戦し
アイデアのストックが膨大となりソローモデルの如く自動的に経済成長が達成され
国民の望む方向への社会発展が実現できるので、まさに人間個人のフェアーな自由
と対等な平等の遵守こそ経済成長や国民の望む方向への社会発展のシステム的解決
方法になるのです。
参加の自由が特定の組織や政党、特定のエリート層、特定の権力者によって規制さ
れ抑制されると発言や参加の意志の表明が少なくなり競争機能も衰退し進化システ
ムが機能しなくなり国民全体のアイデアのストックは減少し結果として発展進化が
止まってしまうのです。
何もカネばかり掛けて経済を再生しようとしても、基本に忠実でなければ無駄にな
るのです。
日本のように手段を問わず参加する自由も認め、妨害する自由も認めるという、何
でもありの自由が日本的自由であり力関係が平気で介在する無責任な自由であり、
フェアーという制限付きのアメリカ的自由と真っ向から対立しているのです。
「平等もフェアーに対等に競争するという意味」で一人一人が対等に平等であり、
これは進化システムの基本概念であり、この概念はアメリカでは強く意識されてお
り、個人意志を最大限度尊重し「特定の人や組織の力関係によって物事がゆがめら
れる恐れが少ない基礎がここに存するのであります。」
ここに国会議員という日本の超エリートの国会採決という国権の最高機関における
行動が子供達にも説明が出来ないような政党や派閥支配による力関係によって、国
会議員個人の「自由」と「平等」が守られた採決が出来ない所に子供達の教育の見
本になりえず更に進化システムが働かない場合が多々あることが大問題なのです。
自由民主党議員を始め与党議員は全員賛成、野党議員は全員反対などという議員個
人の意志が全く反映しない表決が出ること自体異常であり改善しなければならない
という認識が何故出来ないのでしょうか。
子供の行う生徒会ですら、この様な結論が出ることはまずありません。
子供とは言え生徒会の委員の一人一人は独自の意見を持っているから賛成反対が入
り交じるのであります。
したがってこの様な国会採決は日本国憲法が予定しているところでは全く無く、正
に憲法違反であり、これをマスコミが放置している理由が全く理解できません。
与野党を問わずその政党の超エリートの決めたままにその所属する国会議員が力関
係によって機械的に全員同一行動で投票採決するといった子供達の生徒会の運営に
も劣る無個性で無能力をさらけ出す悪弊は教育上も恥ずかしい限りであり絶対に廃
止しなければなりません。
あくまでも国会議員は国民と有権者以外に誰にも束縛されず最高裁判事と同じく、
個人の自由な意志と良心に基づき採決に参加すべきなのです。
政党や派閥の権限は政党組織の必要機能面に限定すべきであって、国会採決に付い
ての国会議員の意志決定を絶対に束縛してはならないのです。
つまり国会議員の国会採決に影響を及ぼす政党や派閥の事前の意志決定などあらゆ
る影響力の行使は行ってはならない原則を作らなければなりません。(憲法の趣旨
も同様なのです。)
「国会議員の国会採決における自由を保証した上、政党や派閥の利害によって緩い
説得や協力の依頼は行うことは当然許されるが」「政党や派閥が金銭や人事などを
行使して国会議員の意志決定に強い影響力を行使することを禁止する法律」を制定
しなければなりません。
したがって現状の固い政党組織を念頭において作られた政党助成法はもってのほか
と考えています。
緩い結合の政党組織こそが理想なのです。
これこそが国会議員が国民および有権者のみを見据えて行動し結果としてシステム
が環境(国民大衆)にうまく適応する進化システムの絶対的基礎になるからであり
ます。
個人意志の尊重は「契約概念」はもとより「進化システム」の絶対的基礎概念であ
るからであります。
さて国民に判断を求めた場合、各種の情報が十分与えられた状態で国民の個人意志
は誰にも束縛されず、誰にも影響されないときに限って良い判断ができ、その全員
の総和は無数の判断の選択肢を提示するとしても、一番多い選択は誤りが少なくそ
の時点の正しい判断を確率高く指し示すのです。
国民が政策の対象であり受益者であり環境であり税の負担者である以上、当然と言
えば当然の帰結なのです。
これが民主主義の原理であり、これが事実だからこそ、大衆主導の実質的民主主義
国家は発展し、一部のエリートによって国家が統制されるエリート主導の形式的民
主主義国家は正しい判断を選択できないことが多いため誤りが多く進化が遅く停滞
するのです。
また極端に一握りのエリートに国家が主導される真の全体主義国家や真の共産主義
国家は長い時間が掛かっても内部要因、外部要因によっていずれは淘汰されるので
す。
これは「みの・もんたさん司会のクイズミリオネア」における挑戦者の回答補助手
段におけるオーデエンスという会場参観者160名(アメリカのように政党や派閥
に束縛されない独立性の高い国会議員と仮定)の判断に回答を委ねた場合の特殊な
問題を除いて正解率の高さに民主主義の原点があるのです。
つまり1000万円の賞金を求めて挑戦者は勉強に勉強を重ねたエリートでありま
す。  ところがそのエリート挑戦者が回答に行き詰まった場合、互いに独立し、
相談しあわない160名の会場参観者(アメリカのように政党や派閥に束縛されな
い独立性の高い国会議員と仮定)の選択問題の回答を単純集計するとその一番多い
選択の正答率は非常に高いのであります。
つまりエリート挑戦者が行き詰まる問題さえ、大衆の一員である単なる会場の参観
者が160人集まった上、相談しあわなくて、独立させて解答の総和を出せば特殊
な問題を除き非常に高い正答率が得られるのです。
「色々の人の意見を聞いた上」、「相談し合わず」自分の良心に基づき誠実に正直
に自分の意志を明確に決定し表明し、その単純総和で物事を決めるのが民主主義の
原理なのです。
「相談しあうことで一人の意見つまり一つの回答に無理に集約しようとしてかえっ
て失敗するのであります。」「また正解と直感的に分かった人でも誤答でないかと
思い悩んだり他人まで失敗に巻き込むことを恐れ発言せず、逆に正解を知らないわ
がままな無責任な誤答者が大声で全員をリードしたり、時間切れになったりして」
正答率が著しく落ちるのであります。
つまり正しい答えを得るには「回答者個人個人を誰からも束縛されず、誰からも影
響されない環境(自由な)を作り出しその個人個人(平等な)の回答の単純集計で
最も多いものを正解とするのが最も正答率が高くなるのであります。」
意見を言い合うことは知識の収得に役立つので大いに行うべきですが、最終判断は
相談して一つに意図的にまとめることは非常に危険が伴うのです。
一つにまとめる作業では、人間の力関係や先入観がそこに入り込む余地が出来てし
まうからであります。

この番組は最終判断を下す場合の民主的手続きの見本を提供してくれています。
この点日本の国民大衆や若者の多くが「自由」と「平等」が不完全ながらも他国と
比べて一番実現しているアメリカへ直感的に実際的に惹かれている(アメリカ信仰
と呼ばれている)のは、極め正しい反応と行動なのでありエリートがこれを批判す
るのは、彼らが本質を見抜いていない証拠なのであります。
日本人の海外在留邦人の最多はアメリカであり極端に多いことでも明らかです。
アメリカ大統領個人の一女性との不倫問題でさえ大統領権限でもどうにもならない、
自由と平等が存在し、「それを解決する唯一手段は冷静に物事を見極める国民大衆
の何が正しいのか」を判断する「正確に測定された世論」に依存しているアメリカ
社会こそ進化システムの典型なのです。
アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンが国の存続においてヨーロッパからも
たらされる党派精神が有する危険性を再三説いたのは有名であり、アメリカの政党
は個々の国会議員の独立性を認めながら緩いまとまりを持った政党に発展していっ
たのであります。
アメリカでは国家の成り立ちから日本と全く異なりアメリカには全国組織の政党が
全く存在せず、「党総裁も党代表も党委員長も全く存在しない世界的に見ても特異
な政治システム」を取っており、これがために政党の超エリートが存在せず結果と
してアメリカ自身も強く意識はしていないかもしれませんが国会議員の政党からの
自由と平等と独立性が相当程度確保され進化システムが強力に働く国家になってい
るのです。

偶然の産物か、意識されていたかは別にして、現代のシステム工学によって実証さ
れている進化システムに準拠した結果となったこの事が、アメリカの政治つまり経
済を含めた国家の運営に進化システムが自動的に導入され、無色透明で自由と平等
に作用し欲求・需要そのものを表す性質を持つ「金(カネ)」に結びつき、同時に
「資本主義」に結びついて言ったのです。
したがってアメリカ発展の根本は「カネ」でも「資本主義」でもなく実はその思想
の底流に流れる「進化システム」の勝利だったのです。

そしてこのことが5000年以上の歴史を持ち経済的なインフラ整備や資本蓄積が
進み単一民族、単一言語、単一文化の効率の良い経済発展条件をもっているヨーロ
ッパ大陸諸国や他の全ての諸国を追い抜き、独立宣言後わずか224年の現在にお
いて二億五千万人の人口を有し多民族、多言語、多文化でかつ地方分権国家という
非効率の典型と思われる国家体制なのに広い国土に道路はゼロの荒野から短期間で
整備され、ビルは林立し、飛行機は無数に飛び交い、自動車は信じられないほどの
数が走り、膨大な軍事力を持ち、30年も前に有人の月面着陸と再帰還に成功し、
全ての他の国家を追い抜き急速に進化し超大国として世界に羽ばたいているのであ
ります。
つまり国などの外部競争(企業間競争)原理が働かない独占組織内の構成員である
国民に対する内部競争原理(国の構成員である国民の意志決定のための憲法で定め
られた正しいルール 以下同様)においては量子論における素粒子の相互作用と同
じく一人一人の人間の相互作用を均一に一票一票全てに過不足無く認めようとする
原則が働かなければ進化システムが有効とならないのです。
もちろんアメリカでも外部競争(企業間競争)原理が働く民間企業においては、法
律に反しない限りその構成員である従業員に対してもお客に対しても任意の規定、
契約、任意基準で不平等扱いは許されるのです。
その意味では国に勤務する公務員の取り扱いも各人に退職、転職の自由が認められ
ている以上外部競争原理が働くので民間と全く同一基準で良いのです。
完全な自由と平等を認めなければいけない分野は「国と国民」、「国民と国民」の
関係分野なのです。
そしてアメリカは国が進化するうえで独占組織である国に適用される進化システム
の内部競争方式
(国の構成員である国民の意志決定のための憲法で定められた正し
いルール)を確立するため「環境(国民大衆)に自らの方針を決定させる組織内部
の単純で厳格なルールを持つことを内部競争方式とする」事を正確に理解し環境自
身に環境に適応する政策を選択させることによって「環境自身に素早く適応し進化
を適切に且つ効率よく進めていく仕組み」を国の意志決定制度(議会制度と国会議
員のあり方)に完全に組み入れ進化システムに適合した制度として作り上げたので
す。

しかもこの方法は極めて実証的で科学的です。(進化システムのうち独占組織であ
る国には外部競争方式が働かないためです。)
つまり多くの国民が認める正義でなければ正義ではないのがアメリカ流なのです。
エリートが作り上げた理屈や論理では無く常識がより重い働きをする社会なのです。

少数の有能なエリートが全力を出し、その指示に従って国民が90%の力を出す(人
の指示で動くことに慣らされ自分の方針ですら自分で決められない人間は100%
の力は出ない)国家より、国民自身が自らの方針を自らの責任において自ら決定し
国民自身がそれに向かって100%の能力を発揮する国家の方が全体で見れば遙か
に良い結果を出すものです。
切迫した危険が生じている人道上の配慮を除けば、この考え方を徹底すれば日本で
今起きている多くの問題は殆ど解決が可能であり「人間を重視し人間関係の密度の
濃い日本社会には当然に受け入れられる哲学・思想である」と感じています。
進化とは突然変異が「競争」に参入し環境に適応出来ないものは淘汰され適応する
ものは生き残り結果として進化が起こるという構造を持っているのであります。
そして進化システムにおける進化のための「競争方法」には環境での他者との生き
残り競争によって環境に適応し生き残る「外部競争方式」と環境自身に生き残る政
策を選択させることによって環境へ素早く適応し生き残る「内部競争方式」の二つ
の適応方法があるのです。
国は独占組織であるため外部競争方式は作用せず内部競争方式のみが作用するので
あります。
そしてそのためには進化システムの構造は「目的を持たずルールのみを持ち変異が
競争に参入し淘汰が行われ結果として進化が進む」構造を持ちルールのみを持つた
め、特定のエリートや権力者による影響力行使は排除する構造を持つ必要があり、
わかりやすい例とすればスポーツやゲームのルールを考えれば一目瞭然で当事者同
士の力量のみで競争し、そのルールのなかで勝敗を決めるのです。

ルール破りを大物として評価することはスポーツの世界では全くあり得ないどころ
か恥ずべき行為なのです。
ルールが悪ければルールを修正し、誰に対しても適用しなければいけないのです。
そして人工システムは進化システムの構造を持つ時に限り力強く進化するのであり、
市場経済、民主主義、科学技術、インターネットなどは進化システムの要素がその
システムの中に強く導入されればされるだけ力強く現実に進化しているのがこの良
い例なのです。
したがってアメリカ的な「自由(フェアーな)」と「平等(対等な)」の定義は成
熟経済に達したアメリカ的民主主義システム、アメリカ的市場経済システムの進化
システムにとって必要不可欠な定義であり、この二つの概念が成立して始めて成熟
経済下における社会や経済は力強く進化するのであります。
さて日本国憲法で明らかなように国権の最高機関は国会であり「厳しい公職選挙法
に基づく国民の選挙によって国会議員が選出され」「日本の国家意志はこの国会議
員が有権者や国民以外に誰からも束縛されず、誰からも影響されない状況下で個人
の良心と自由な意志に基づき国家の善悪・適不適の判断を最終的に決定する採決活
動」の二段階のやり方こそ日本国憲法で定められている趣旨であり、これが「政策
の善悪・適不適を選択・淘汰するための正に国の進化システムにおける内部競争方
式」なのであり日本国の経済・社会が進化・発展するための根本原則であることを
認識頂きたいと思っています。

ここで最大の問題は国会議員の国会採決において与野党を問わず政党の支配力が強
すぎるため個人の意志と良心に基づく意志決定に国会議員個人の「自由(フェアー
な)と平等(対等な)」の定義が守られておらず、国会議員個人の独立性が守られ
ていないために進化システムの内部競争方式が作動せず日本国の政策決定に誤りが
多く進化システムが事実上ほとんど働かない所(消費税の導入などはその典型例)
に長年の日本の国家運営の根本である政治システムの大欠陥があるのに、これが政
党慣習上、当然と考えられているところに大問題があるのです。
そこで日本においてアメリカと同様に国会議員の個人的意志に対する政党の影響力
行使を徹底的に排除する措置つまり当面は民間人が国会議員へ影響力を行使しよう
とする時の「刑法の汚職規程」をシングルスタンダードとして政党や他の国会議員
も民間と全く同じと定義し政党や他の国会議員を特別扱いせず影響力を行使した場
合は当面これを準用して適用し、将来は国民が公職選挙法で厳しく影響力排除を徹
底させられているのと同じくらいの影響力規制を規定した国会議員の国会採決行動
特別立法を制定するか、政党間の国会議員に対する影響力行使違反に対する制裁を
盛り込んだ自主規制基準を設定するかして国会議員に対する政党や派閥や国会議員
相互間の影響力排除を徹底するとともに政党助成法を大改正すべき(本文参照)と
考えています。

さて現状の日本の国権の最高機関であります国会は国会議員個人ではなく国会議員
で構成する与野党を問わず政党組織に支配されております。
しかし政党については日本国憲法の条文のなかに一行も登場しておりませんし、ま
してや憲法の国会条項にもいっさい触れられていません。
また不勉強のせいか政治資金規制法や政党助成法など金の面を除いて政党の厳密な
法的位置づけや定義や行動規制をのせた法律を見たことがありません。
国にとっては取るに足りない一中小企業でさえ民法と商法など各種の法律によって
その組織は厳密に定義され行動規制も運営方法も定められているのに国権の最高機
関が法律で厳密に行動規制も運営規制もされていない政治団体の一種に過ぎない政
党という任意組織の意志と影響下に管理され、そのため進化システムが十分機能せ
ず社会制度、経済制度が環境に適応するのが遅々として進まず進化しない現状が長
らく続いているのです。
インターネットが進化システムなのはインターネットが特定の人や組織に管理され
ないから進化システムとして進化が強力に進むのです。
管理されるとその瞬間からそれは進化システムではあり得なくなり進化スピードは
極端に遅くなるのです。
さて政党とは任意の政治団体の一種であり人間の集団であり、政党という名前の生
物が存在するわけでもないのです。
政党の機能と必要性は十分に理解していますが、政党の国会議員に対する影響力は
少なくともアメリカ程度に低下させるべく立法化すべきなのです。
そして法的位置も定義も明確でない政党という任意の政治団体に国家の運営を依存
してはならないのです。
政党はその必要な機能においてのみ存続が認められる限定機能的な存在であるべき
なのです。

国家は厳密なルール(日本国憲法で定められた二段階方式)の上でルールに則り、
国民と国会議員の人間としての個人の独立した意志と良心に基づき運営されて始め
て進化システムが強力に働き始めるのです。(司法では最高裁判決などでも明らか
なように裁判官個人の自由な意志と良心に基づき純粋な裁判官個人の多数決で決定
しており、そこには政党は存在しないのです。)
またつかみ所のない国アメリカが良い見本なのです。
つまりアメリカの政府権力の中心は国民大衆と国会議員であるのでつかみ所のない
国なのです。
アメリカは独立宣言で述べられているように「政府の権力はそれに被治者(国民)
が同意を与える場合にのみ正当とされる」という近代民主主義の究極の原則によっ
て運営されている国家なのであります。
その精神を引き継いでいる日本国憲法の条文を今一度読み返し国会議員のあり方と
政党のあり方に再検討を加えて貰いたいと考えています。
国会議員の国会採決が個人の自由な意志と個人の良心にのみに基づき行われるとき
進化システムが強力に働き、同時に国会議員個人の能力に磨きが掛かり、自己啓発
を行わざるを得ない環境が生じるのです。
なお進化システムが働くとは、その政策が環境(国民大衆)に適応した政策で効率
良く機能するという意味であります。

そしてこれが徹底されれば有権者はその候補者個人の能力を強く求めるようになる
のです。現状では国会議員は政党の操り人形にすぎないので、誰が当選しても大き
く変わらないという国民にあきらめが生じているのです。
根本を正せば全てが変わるのです。
ただアメリカ政治をまねしたくないのは、選挙区が広すぎることとテレビ放送の経
費などから膨大な選挙資金が必要なため特に大統領制を取っていることも重なり
「金がかかりすぎる選挙」であり、ために政党ではなく献金者の意見つまり経済界
や労働界の意見に左右されやすい体質を持っていることがアメリカ政治の欠点であ
り、この部分については、はるかに日本の政治システムの方が優れているのではな
いかと考えています。



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