(自由主義経済と民主主義体制の政策立案においての前提)

自由主義経済と民主主義体制をシステムとして適切に機能させていくは幾つかの基
本的倫理観が前提となります。
まず法的規制をできるだけ多くしないために「エリ−トも一般国民も誠実に正直に
行動することが求められます。」 したがって法律違反の不正者をすばやく発見で
きるシステムの構築が必要になります。
これは全員が誠実で正直なことが自由主義経済や民主主義が最も効率良くかつ適切
に運営出来るからであります。
また「巨大な権力者の出現を排除し、権力者といえども一定の法的な枠内での権限
しか持ちえない事が求められます。」
これは人間一人一人が誰に脅えることなく自由に伸び伸びと生きていく前提になる
のです。
そして情実や当事者の力関係で競争関係を歪めることなく「多数の当事者間におい
て競争はフェアーな自由と対等に平等の条件下で行うことが求められます。」
これは全ての人が平等(対等に)にチャンス を与えられ、より良い結果が得られる
源泉となるものなのです。
国会議員の国会内における採決も政党や国会議員同士に服従、被服従をもたらして
はならず正にこの概念で行われなければならないのです。
このフェア−という概念は、弱者や貧者は努力すればこの世は自由と無限の可能性
と感じられ、強者や権力者にとっては、力関係や金の力や利権の力では物事を自由
に出来ずもどかしさと不自由さを強く感じるのであり強者と言えども弱者と常に公
正な競争で勝ち続けなければ強者とは言えないのであります。

「正に継続は力なりの精神でフェアーな競争に勝ち続けなければ強者にはなれない
のです。」
真の自由主義経済、民主主義は「何でもありの世界ではありません。」
むしろ権力や金や利権の力だけでは自由に出来ない強者にとっては不自由な世界こ
そ真に自由と平等の世界なのです。
強者と言えども常に市場での対等でフェアーな競争の中で勝ち続けなければならな
いからです。
自由をはきちがえる人がいますが大きな間違いなのです。
その意味で真に自由で平等の世界は金や権力や利権ではどうにも出来ない不自由で、
窮屈な世界なのです。

自由主義経済、民主主義体制を頭の中で考えたり、言葉やコンセプトだけで取り入
れたりするだけでは必ず失敗します。
所詮人間のやることですので、これを「フエァ−」に実施するには、諸ル−ル、諸
規則もしっかりと取り入れる必要があるのです。
いまロシアが苦しんでいるのは自由主義市場経済を抽象的概念として取り入れたの
ですが、細かい諸ル−ルの取り入れや国民への啓蒙、教育を怠ったために生じてい
る問題なのです。
しかし賢明なロシア国民はいずれこれに気づき修正してくるはずです。
経済が困難な時期に有人の人工衛星を現に打ち上げるすばらしい科学技術を有して
いる国であるからです。
つまり人間のやる「スポ−ツ」と同じなのです。
ルールをしっかり運用しないとゲームは選手と観客を巻き込んで大混乱になってし
まうのです。
そして「報道機関が事実をありのままに報道することと、国民が事実をありのまま
に目をつぶることなく知れば、その判断(ジャジメント)の総和は必ず善に傾くと
いう確信を持つことが求められます」。
これは大きな人間社会の進歩のうねりが、人間のあらゆる分野で持つ多面性と、人
間という動物が長い歴史を通じて獲得した利己的遺伝子による利己的行動と利他的
行動と文化の働きが歴史的事実として証明していることを理解することが大切だか
らであります。

また一部のエリ−トに物事の判断を任せると頭の良い彼らは、事実より論理を優先
するため失敗が多く、また多くの国民と相反する判断を下すと、多くの国民がこれ
に反発しその政策の実効が実際問題として伴わない結果となることが極めて多いか
らであります。
これは多くの人が望んだ政策は、多くの人はその実施に協力する度合が高く、逆に
多くの人が望まない政策を押し付けられた場合、多くの人はその実施に協力しない
という原則が働くからであります。
したがって税の負担者と政策の受益者という自動均衡作用の二重人格を持つ多くの
人が本当に必要と望む政策を提案することが重要になります。
多くの人に賛同を得るには「説得と協力依頼が不可欠です」それには「事実の情報
公開がまず第一義的に重要」になります。

また膨大な数の国民を形成する人間個人個人には、多様な個性があります。
コンピュ−タ−を自在に操る人もいれば、それは不得意で農作業なら実力の発揮出
来る人もいるのです。
高効率高生産性の職場で高い給料を貰って働くことを好む人もいれば、低生産性の
職場で給料は安くても人間的職場で働きたい人もいるし、営利精神を追求すること
を好む人もいればボランティァ精神を発揮する人もいるのであって、つまり国家は
国民が生活し幸福を追求するための手段であって役に立つ機能的な存在でなければ
ならずこれらの多様性を持った人々を全て受け入れられる職場を提供できる経済シ
ステムでなくてはならないのです。

高い給料を取りたかったら超高生産性企業へ勤めるか、才能が発揮される低生産性
企業で勤めリスクを覚悟して働かなければならないのです。
ただ注意しなければならないのは競争も倒産も失業もなく生産性がゼロである公務
員が必要以上(特に高年齢のエリート官僚)に高い給料を支払うシステムは改善し
なければなりません。
そして特に民間中小企業はもとより民間大企業と比較しても異常にに高い退職金は
納税者から見て世間並みに改善しなければなりません。
国の職務に従事する公務員はボランティァ精神(利他的精神)や調整機能が求めら
れ営利精神を持つ必要が無い以上異常に高い給与水準では納税者は納得しないので
す。
さて高効率高生産性の職場ばかりを作ることを国が押し進めすぎると必ず失業率が
跳ね上がり(もちろんこの様な経済政策は結果として自らも生き残れないリスクを
生じるので利己的遺伝子を持つ国民大衆の多くは支持しない)、国全体としての経
済の進化や個性的教育の成果は何も発揮されないことになるのです。
少数の超効率高生産性企業と多数の良質な低生産性企業の混在こそが経済構造に求
められているのです。

また色々な人種、宗教の人もいます。
人間を集団やグル−プで判断することなく、「人間個人としてのフェアーな自由と
対等な平等を目指す以上」一人一人の人間毎に個性を尊重しつつ、区分して対処す
ることが大切なのです。
「価値の多様性を認め、寛容の精神を身につけること」などがこれからの地球社会
を生きなければならない人間の現代文化の方向性であります。
会社も国もあらゆる人間の組織は、組織体が生命を持って生きているわけではあり
ません。
法律的には組織の実在説は必要でしょうが、組織体は事実としてはそこに所属する
人間が存在するだけであり人間の生活のための手段でしかありません。
会社が判断したり、国が判断したりしているわけではありません。
必ずそこに所属するある特定の人間が(もちろん複数の場合もあります)会社の名
を借りたり、国の名を借りて判断しているのです。
したがってここに良き人間としてのリ−ダ−の必要性が生じるのです。
特に公共体のリ−ダ−はその所属する人々の「役に立つ人」であり(君臨するので
はなく)、その組織体を統括し、結果責任(アカウンタビリティ)を意識し責任を
持って全体を指導し、運営する責務を持っているのです。
そして国は膨大な数の全ての国民にシステムを強制する以上その思想的原点はプラ
グマチズムでなければなりません。
つまり実地に即して役に立つものを真と考える立場を取らなければなりません。
即ち真理それ自体としての純理論的価値ではなく人間に対する実用性、合目的性の
根本見地から考える立場を取らなければなりません。
日本の哲学・思想には中国から伝来した「知って行わざれば知らざるに同じ」「知
行合一」の 陽明学の系譜が色濃く残っております。
良い事と知識で知っていても、実行しなければその人は何も知らないのと同じであ
るという立場であります。
つまり現代アメリカ人の思想的原点と日本の明治維新を思想的に指導した陽明学や
実学は根本的には非常に似通った精神を持っていたのです。 



  次の頁へ    前の頁へ    目次へ戻る