(コンピューター社会に無知なエリートとシステムが持つべき原則)

システムの基本条件の一つとして発展性のある進化システムであるためには「外部
環境や内部環境の変化に対してシステム全体として適応し頑健である」ことが上げ
られている。
日本の最も大規模な民間システムに「企業会計原則」が存在します。
ここにはシステムのありかたを規定している重要な原則として「真実性の原則」「明
瞭性の原則」「安全性(保守主義)の原則」「単一性(シングルスダンダード)の原
則」「継続性の原則」など述べられ、厳しくシステムが維持されています。
これは大規模大量システム用の基本原則であり、国の全てのシステムを策定すると
きに大変に参考になります。
一億二千万人の国民へ公正に適用するためには、しょっちゅう内容を変更せず、安
全に分かりやすくシングルスンダードで継続的に適用しなければ多くの国民に周知
徹底がはかられず、結局公平な運用にはならなくなるのです。
大事なことは「国民大衆の多くから改善を要望されているシステムはドンドン改善
し」、「成功して順調に運用されているシステムは重要な必要性が無い限り勝手に
いじるなという原則」を確立することであります。
このいずれにも反している責任者には罰則を与えなければなりません。
さて一億二千万人の国民と270万社の法人企業、177万社の個人企業を対象と
して膨大なシステム(制度、法律、基準など)を駆使してこれらを管理しているの
が国家なのです。
ところがこの数字を見てすぐ気が付くことは、その「政策対象は各々一人か一社で
あるという原則」です。
受給や規制対象者が一人か一社にかかわらず数限りない似たような制度と窓口を無
数に作り平気で運用しており、この膨大な重複の無駄は計り知れないと同時に、こ
の複雑なシステムを全て一人一人の国民や一社一社全てが理解できるはずもなく、
どのくらいの無駄が生じているか計算も出来ないほどです。
「まず大切なことは法案立案者がその対象となるのはたった一人の人間又は一社毎
にすぎず、その利便性やわかりやすさを考えなければならないと言うことを肝に銘
じて法律案を制定する訓練をすることであります。」

さて日本の特にエリートである政策担当の官僚と国会議員はこの現代のコンピュー
ターによるシステム社会をほとんど理解していないという悲しむべき現実に私はい
つも困惑し、それに振り回されるために毎年支払っている膨大な手間と高額なコン
ピューターソフトの修正費用に激しい怒りを禁じ得ないのです。
一例を挙げれば最近毎年のように繰り広げられる「特別減税」なる所得税の減税で
す。  減税事態は何ら非難されるべきではありませんが、やり方に大きな問題が
あるのです。         要はやり方に毎年一貫性が無いことです。
システム的意識が全くなくその場その場の思いつきや事情で内容、やり方、名称ま
で違うことです。    まったく信じられないほど非システム的なのです。
2000年問題でも明らかなように、たった年号が「99」から「00」になる2
文字の変更だけでコンピューターのソフトの改善にどれほどのリスクと膨大なコス
トが掛かったかを思い知れば少しは今後注意してくれるものと期待しています。
現代ではすべての政策やその変更には予めコンピューターソフトの存在を意識しな
ければなりません。
コンピューターソフトでは「変数の名前は」「定義は」、「その個数は」、「論理
式・計算式は」、「条件式は」などは極めて厳格に決められており毎年毎年勝手に
変更するなどということは、もってのほかなのです。
せいぜいシステム的に考えて変更して良いのは「率」とか「額」くらいなのです。
国税庁のKSKシステムにおける「特別減税」とそれに伴う年末調整ソフトから始
まってこれに関連する全てのソフトウェアの変更に国が毎年一体いくらのソフト改
正費用を掛けているか情報公開すべきです。
是非知ってもらいたいのは民間ではどの会社でも会社の大小に関わらずKSKのソ
フトの変更と原則として全く同じ手間とコストを掛かるいるのです。
小さい会社だからといってソフトが大きな会社と比べて簡単に出来るわけではない
のです。
コンピューターのソフトとはそういう性質つまり本質を持っているのです。
山間僻地や離島で従業員2−3人の会社でも国税庁のKSKや大会社と同じような
コンピューターソフトの修正が必要になるのです。
源泉徴収簿作成の変更ソフト、給与支払報告書(源泉徴収表)作成の変更ソフト、
年末調整計算の変更ソフト、扶養家族区分の変更に伴う修正ソフト、入力変更ソフ
ト、など何十本ものソフトを修正し、正しく作動するか確認しなければならないの
です。
日付の末尾の「99」を「00」へ変更するだけで、2000年問題として世界中
でこれだけ大騒動になっているのに、あらゆる場面で平気で毎年のようにコストや
手間も考えず費用対効果も考えず複雑な制度やシステムの変更を行うコンピュータ
ー音痴のエリートを教育し直さなくてばなりません。
現代のトップエリートと言われる秀才がなんとIT時代の現実に無知で鈍感である
のか、さびしい限りであります。



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