(因果関係論・機械論と目的論からの金融不安と経済不況の原因)

哲学の二大潮流には「原因と結果」を論ずる機械論と「手段と目的」を論じる目的
論があるが、現代では科学技術の進歩とともに「原因と結果という機械論が優位」
であることが確かめられており、その基盤の上で人間の社会システムは「目的論的」
に論じられるようになっている。
発生した全ての「結果」には「真の原因」があり、発生した全ての「問題」にも「真
の原因」があるのです。
「原因」の無い「結果」など「人間社会の世界」には存在しないのです。
したがつてマスコミは発生した「目に見える結果の規模やありさまばかりを報道す
るのではなく」、第一報道順位にはそれに至った「目に見えない真の原因」こそ常に
徹底して調査し明らかにして報道する姿勢を貫くことが、「全国民の知る権利を満
足させるとともに」「全国民の知識の向上と能力の向上に資する啓蒙的なマスコミ
本来の役割」に貢献するのです。
さてH2A1号機の打上げ成功おめでとうございます。 ロケット好きの私にとっ
てこの成功は日本の未来に明るさと希望を与えてくれました。
この「成功の真の原因」は就任後わずか1年2月しか経っていない新宇宙開発事業
団理事長による「低コストで且つ信頼性の高いエンジンという不可能と思われる要
求」の中で取った判断が、先代H2の連続失敗の「目に見えない真の原因」を主エ
ンジンの構造的問題と正確に捕らえ、愛着のある旧エンジンの小改善によって短期
間で対応できるとした多くの技術陣の反対を説得し「時間はかかっても一層低コス
トで信頼性の高い新主エンジンの開発」に踏み切るべきだとする大改善の判断を下
したことが「今回の成功の真の原因」だったのです。
このことによって宇宙開発事業団は低コスト(従って一層大量生産が可能)で且つ
信頼性が高い主エンジンを打ち上げ成功によって手に入れ、今後の宇宙開発に主エ
ンジン以外の部分の改善改良に技術陣の力を結集できるという大きなメリットが生
じ今後の展望が開けてきたのです。
ただ短期間の主エンジンの開発には、実験回数と手直しの熟成期間と熟成予算が少
なすぎたことは明かであり、今後の徹底した熟成と小改善が望まれます。   
したがって時間がかかっても「真の原因を発見し改善できるとしたら」「結果と歴
史」が、「時間がかかるという欠点」を必ず大きく補ってくれるのです。
真の原因を発見できず真の原因を改善できない拙速は美徳では無いのです。
そして紆余曲折があろうと宇宙開発事業団のロケット開発が逐次進化発展していく
としたら、今回の新理事長による主エンジンの新規開発という大改善の「判断・決
断」は将来特筆すべきものとして、その結果は歴史に記憶されると考えています。
そしてコンピューターが完全に発達していない30年以上前に達成されたアメリカ
の人間による月面着陸と地球への再帰還の成功は「充分な予算と期間」があれば、
その時点の最高の頭脳と努力が結集できるので実現不可能なことはほとんど無いこ
とを立証しているのです。
難しいのは少ない予算と短い期間でこれを達成する不可能に対する挑戦なのです。
さて機械論や目的論における最大の問題は「原因と結果の取り違え」と「手段と目
的の取り違え」である。これは多くの問題を分析する場合おきる現象であり、これ
を防ぐためには原因と結果や手段と目的がどのような関係にあるかを知ることは極
めて重要である。
例えば東大に入ることや、キャリア官僚になることは「手段」であり、世のため人
のためになる政策を立案することが「目的」のはずであるが、東大に入ること、キ
ャリア官僚になることを「目的化」し達成すると何と本来の「目的」を忘れる人の
多いことか残念でなりません。
アメリカではエリートの経済学者等は「金を得ることは」は手段であって「国民の
生活向上や幸福の達成」こそ目的であると、しっかり理解して経済政策を提案して
いる学者が多いが、多くのアメリカ人は「金を得ることを人生の目的」している事
例を多く見るにつけここにも手段と目的の取り違えを痛感するのであります。
また例えば今回の経済不況の原因は株式の下落や金融不安、不動産価格の下落であ
るという主張を良く聞きます。
原因と結果は因果関係とも言われ、「事象Aが起これば常にそれに伴って事象Bが
起こる」という「恒常的連接がその本質」であり、時系列的に考えればAの起こっ
た後にBが起こるのである。
現代の株式の暴落や不動産価格の下落、金融不安の原因は「経済の過剰性が縮小し
た結果」発生したものであり「不況そのものであり、結果であり、不況の原因では
全く無いことは明らかであります。」
因果関係論による「時系列的に考えても」平成元年4月に導入された消費税によっ
て「恒常的な総需要抑制政策の効果によって」徐々に個人消費が落ち始め同時に企
業業績も下降線を辿り等価理論により個人所得の伸びも停滞し始め株式の暴落、不
動産価格の大幅下落が順次発生し、それに続いて金融不安の発生など「恒常的な経
済の悪循環に陥ったこと」が全ての原因であることは明らかです。
株価対策や金融不安対策、不動産価格対策にいくら膨大な国家予算を投入しても消
費税という「原因である総需要規制政策を改めない限り」効果はわずかしかないの
は当然の事なのです。
機械論つまり因果関係からの分析による、このような当たり前で当然の認識が日本
の主流のエリートに無いことが最大の問題なのです。

まず経済は「人間の持つ経済の過剰性(需要)の拡大を維持出来るシステムかどう
か」そしてこれを「どうシステム的にコントロ−ルするか」の内容を持つ経済シス
テムでなければなりません。
資本主義経済では科学技術の不断の進歩と機械化の設備投資により、毎年自動的に
労働生産性は上がるため、経済の過剰性(需要)が一定ならば失業が増加するのが
必然的なシステムになっているのです。
そこで経済の過剰性(需要)の拡大を継続的に維持出来る経済システムでなければ
不況(失業率の上昇と定義すれば)からの脱出は不可能なのです。
人間の好奇心と幸福になりたいという本能から「経済の過剰性(需要)」は自由に自
然に任せれば科学技術の進歩による新製品の登場と既存製品の生産性の向上による
価格の低下の相互作用から自然に増加するので、「消費を規制してはいけない原則」
を遵守すれば自動的に自然に経済の過剰性は拡大するのです。
そして金融問題は人間の持つ経済の過剰性(需要)の拡大を貨幣を通じて達成する
「手段」に過ぎません。
したがって公的資金を投入してその時点の金融不安を解決すれば全てが解決するな
どということは、全くの空理空論なのです。
金融不安は人間が持つ経済の過剰性(需要)が縮小した「原因」ではなく「結果」
に過ぎないのですから。
つまり経済の過剰性が縮小した「原因」を探求し、消費の増加を規制し抑圧してい
る原因を取り除かない限り金融不安の根本的な解決は不可能なのです。
もちろん経済の過剰性の縮小に伴い銀行の1/3が倒産してもかまわないか、公的資
金を投入し続けるというならべつであるが、それでは費用対効果が悪すぎる上、縮
小均衡を目指すのであれば、失業者の増大をどのような対策の費用対効果で解決す
るのでしょうか。
そして不況の継続によって借入金が返済出来ない企業が増加すれば、また金融不安
が再燃するのです。
経済戦争を有利に運び勝ち残るには「原因の索敵が最大の対策」なのです。
であるからしてアメリカ軍は異常なまでに「通信傍受能力の向上」「暗号解読力の向
上」や「スパイ衛星の能力向上」によって現状の真実の状況把握に力を注いでいる
のです。
経済とて現状を分析し何が問題かを正確に把握しなければ、有効な対策は何ら取れ
ないのです。
科学技術の世界では、まずタブー無しに全ての原因と思われるものを探索し、「真の
原因の把握に努めるのは正に常識」です。
なぜなら正しい原因が分からなければ正しい対策が立てられないからであります。
経済とて広い意味で科学である以上正しい原因の把握は正しい対策の原点なのです。
何ゆえ日本の経済エリートにはこの姿勢が無いのでしょうか。

最後に「目的のために手段を選ばないという思想は」目的達成のための倫理性・適
法性を強く疑わせるもので現代の論理では全く通用しない議論であることに注意い
ただきたいと考えています。                       



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