(アメリカ経済が好調だった理由と忠告を内政干渉と言う愚かしさ)

大きな組織の長になればなるほど政治的な判断が必要になります。
政治的とはその組織だけの利害にとらわれず、全ての国民一人一人のためという意
識を持つ事である。そういう基準で判断しなければならない。
さて好調だったアメリカの経済システムはどうなっているのでしょうか。
アメリカ以外のすべての先進国は「人間の過剰性を縮小させる持続的総需要抑制策
の効果を持つ消費税を国が安定収入を確保するために導入してしまった」のです。
結果としては需要の減退、企業収益の停滞を招き企業は債務の重圧に耐えられなく
なってしまって金融不安や失業率の大幅増加を発生させてしまったのです。
ところが唯一アメリカはこの付加価値税制つまり消費税を決して導入せず、人間の
過剰性の拡大(つまり需要の拡大)に効果のある法人税(給与を多く支払ったり設
備投資をすると税は安くなる)、所得税などの直接税を強化し、需要の増大を自然に
任せ企業収益を向上させる戦略を取るとともに、ハイリスクを物ともしない性格を
持ち資本主義の本家としての伝統的に株投資を好む国民性からストックオプション
の拡大による自社株買いの促進や日本の厚生年金に匹敵する退職年金基金による株
運用(結果としてアメリカの大企業は自社の退職年金基金への掛金の支払いを通じ
て株を経費で購入しているのと同じことになっている)や資本主義の原則を逸脱し
て自社株買いの制限の大幅緩和などを行い「人為的に国策として株の買い方を援助
し、売り方を締め上げる戦略」を取ったのです。
まさに有限にしか存在しない株を買いまくれば値段が上がるのはシステム的に当然
のことであり、近代経済学におけるケインズ流に言えば「無から有を生じさせてい
る株式バブルの発生」であります。
さらにアメリカ経済の個人消費の伸びとこのアメリカ経済の好調さを見た他の国々
の資金がアメリカにどっと流れ込んできたのが、株高の結果を生じさせたのです。
そして国民を裕福にした上でクリントン政権は富裕層に逆に増税を行い、個人消費
の伸びに比例して当然増加する所得の増加と累進率の上昇から記録的な税の大幅増
収により一挙に財政赤字から脱却し黒字化に成功したのです。
しかも余った国の資金は日本と違って国は自らバブルを加速させる公共投資を行わ
ず、バブルの加速に加担せず日本と違って単年度主義会計ではないアメリカのクリ
ントン政権は逆に国の債務の返済に当てたり、無駄遣いせず預貯金として保有した
り将来の国の景気後退期における税収減退に備えているのが印象的であります。
したがってクリントン政権が共和党の大幅減税案に強力に反対していたのは、当然
の事と言えるのです。
したがってアメリカが一人勝ちをしたのは、他の先進国が全て消費税制を取り入れ
政策的に、人為的にコケてしまった結果であり、この10年間でアメリカだけが特
別に飛躍的に競争力を向上した訳ではないのです。
このような好景気のうえに更に基軸通貨の特権(円と異なり、貿易収支の赤字はア
メリカ経済へ大きな悪影響は与えない)を利用した意図的なドル高政策をとってさ
え360円が100−120円になってもアメリカの貿易収支の大幅赤字がそれを
雄弁に物語っています。
アメリカの消費税に該当すると言われる小売り売上税は小売業にしか課税しない単
段階税制である上、逆に自動車やガソリン関係の間接税が無いに等しく、税の直間
比率における間接税比率が極端に低くなっている。
そこで私はアメリカの直接税中心の国内の需要拡大策には大賛成であり、これこそ
が市場主義経済に適応した税制の原則であると実感しています。
ただ私としては異常とも思える株バブルを発生させているアメリカの人為的な株高
誘導政策にはとても賛成できません。
平成元年以前まで日本経済を驚異的に発展させた原動力となったのはアメリカをし
のぐ直接税中心の日本人の国民感情に合致していた日本の税制システム(シャウプ
勧告に基づくアメリカ的な税制)の力量を過少評価し、このシステムに代わって人
工的な消費税システム(ヨ−ロッパ的税制)を導入したことで当時世界一を誇った
日本経済を自らの手で奈落の底へ転落させ、逆にそれに依ってアメリカを想像すら
出来ない程経済的に強大にさせてしまい、哀れみの眼差しで日本の現状を語るアメ
リカ人を見ると日本の高級官僚、政治家、学者、経営者、労働組合、マスコミなど
愚かな政策を支持した日本のエリ−ト層には言葉もないほどであります。
まさに第二次世界大戦に参戦した日本のエリ−ト層の大きな過ちに匹敵するもので
あります。
消費税導入当時あれほど口やかましい「アメリカが無言」を通したのは失敗するの
が目に見えていたからであります。
アメリカが無言のときは気をつけなければならないのです。
アメリカはレーガン政権の1985年抜本的な税制改正においてくわしく検討した
が弊害の大きい消費税制は決して導入せず逆に法人税、所得税を経済成長の手段と
して抜本的に改善したのです。
このアメリカの改善策を参考にもせずその4年後1989年日本に消費税が導入さ
れたのです。
忘れもしない平成元年8月クエールアメリカ副題統領の来日第一声が「日本ではサ
ービスにまで課税するのか」でした。
脱工業化社会つまり情報化社会、サービス化社会を目指して経済体質の改善に取り
組んでいたアメリカと正反対の政策を取る日本にアメリカ副大統領の驚き(私に言
わせれば既に知っていたくせに)は当然だったのです。
これがその後の両国の経済発展に大きな格差を生じさせたのであります。
つまり当時でも対ヨ−ロッパでは圧倒的に経済優位を保っていたアメリカが唯一日
本の経済力に危惧を感じていたのに、何と日本が外需を頼ってさえ失業率を根本的
に改善出来ない競争力の弱いヨ−ロッパの経済体制を真似をして消費税を導入した
いと言い出したのであるから、日本の経済力を削ぎ落とす絶好のチャンスと見て、
「無言を通した」のは当然のことなのです。
しかしこれほど日本が激しく失敗するとは、思っていなかったようで、現在では消
費税を見直せと大統領始めアメリカの要人はこぞって日本に忠告してくれているの
です。
しかし忠告を素直に聞けないエリートが日本には大勢います。
いわくこれはアメリカが国益上言っているのであるから聞く必要はないとか、感情
的にアメリカにあれこれ言われたくない、内政干渉だなどの意見です。
私は忠告は正しければ選択肢の一つに加え素直に研究し、検討すべきと考えていま
す。
日本のことわざの「誤りを正すに、はばかる事なかれ」を是非思い出し勇気を出し
て試行錯誤して改善の変異を実行してもらいたいと思っています。
さもないと日本は決して進化しないからであります。
成功した経営者は常にこれを実践しているから「君子豹変す」と言われるのであり
ます。
しかも悲しいのは「内政干渉だと金切り声を上げる政治家を始めとするエリ−ト層
が無数にいることです」。
まず内政干渉とはある国の国内管轄事項に対して他国が権限を侵犯して主として軍
事力を背景に威嚇等の手段で強制的に介入する事であって、単純な説得や勧告は内
政干渉の対象外であって、ましてや忠告を内政干渉とがなりたてる品の無さには困
った物だと感じています。
我々の身近なケ−スでも身持ちの悪い人にいろいろと忠告した場合、「うるせえ!!
他人の事に一々いちゃもんをつけるな!!」と怒鳴りかえす人がおります。
正しい忠告をしても、かえってわざわざ忠告を無視する人もいるのです。
しかしこういう人の末路の多くは後になって「哀れな末路で終わる」か、せいぜい
「あの時言われた通りにしておけば良かったと後悔しても、その時はどうにもなら
ないほど物事が悪化し後の祭りになることが多いのです」。
つまりアメリカが蘇ったのは「産業の競争力向上については素直に日本等から自ら
劣っていた部分の経営手法を学び」そして「人間の持つ過剰性の拡大を維持しつつ、
かつ株を高値へ誘導する人為的な政策・システム」を構築した結果なのです。
特に人間の持つ過剰性の拡大を徹底して維持する政策をとっています。
ですから日本も消費に課税する消費税制を廃止し平成元年以前の日本に存在したア
メリカと同じ直接税中心主義の税制に戻す変更をすれば経済は回復軌道に乗ると同
時に失業問題や金融不安、新規産業分野の創出問題の根本的解決が可能になるので
す。
なんとなれば総需要抑制政策を放棄し消費に課税と言う需要に対する規制を加えず
自由を与え、企業は費用を支出しない限り、比較的高率の課税を受けるわけであり
ますので、人間の利己的遺伝子の働きつまり人間の心理と本性から、ほうっておい
ても、金融政策、財政政策が機能を回復し、設備投資、個人需要を中心に総需要が
拡大するからであります。
思い出せば分かりますが12年前消費税を導入する前迄は日本がアメリカの行く末
を心配していたのですから。
ただ日本人である私は、アメリカのように株の売買益や配当所得による、国民の所
得増を計る政策を好まず、勤労の結果の勤労所得の増加を計る政策を好むものであ
ります。
それは国民の大多数を言葉は悪いがハクチ打ちにするよりも、勤労に対する努力を
正当に評価する社会をつくる方が健全だと考えるからであります。
勤労の努力よりも金をタイミングよく動かす能力の高い人間ばかり(こういう人間
は生産性の向上になんら役だたない**しかし資本の自由な移動により効率の良い
産業に資本が自由に集まるという非常に良い効果もあることも事実であります。)を
重視する社会はいずれ価値観や労働感に問題が生じ産業の競争力に根本的な問題を
生じてくるからです。
キャピタル・ゲインを重視する社会は少数の大成功者を生み出すシステムでありま
すが、勤労を重視する社会は多数の小成功者を生み出すシステムであります。
どちらが良いかは価値判断の問題でありますが、私は日本人の今まで歩んできた現
実や国民性を総合的に直感的に判断しますと「勤労を重視する社会」の方を選択す
べきと考えているのです。
したがっていずれも非常に重要でありますが私は勤労所得を「主」、配当所得やキャ
ピタルゲインを「従」と考えるべきと思っています。



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