(アメリカのわかりやすさと日本人の科学的進歩的商品に対する消費
 志向と科学技術大国への道)

さて哲学はあらゆる学問の意義の基礎になるものであり国の根幹を為す思想であり
ます。
そして私は荒涼たる荒野から現在まで独立後わずかに224年しか経過していない
アメリカという多民族、多文化、多言語で地方分権国家という最も非効率で統治が
難しい国家体制が、何ゆえ3000−5000年の歴史と長年の社会的インフラ整
備を誇る効率的であるはずの先進中央集権国家をはるかに超えた進歩発展を成し得
ているか、その国家指導の根本的な哲学思想を、まず学ぶべきと考えています。
アメリカ哲学は「プラグマチスム」という哲学が主流であり、アメリカ建国が「ヨ
ーロッパの政治体制や哲学・思想からの決別」を意図して独立が果たされ、アメリ
カは昭和14年9月1日から昭和16年12月8日までの2年3ヶ月間にヒットラ
ーによって全ヨーロッパの東欧、北欧、フランス、イギリス、ソ連までもが徹底し
た破壊と侵略にされたにもかかわらず、戦勝国にはなったがヨーロッパで行われた
第一次世界大戦(やはり当初参戦はしていなかった)に引き込まれ多くの自国の若
者の戦死者を出した苦い経験から、この戦いもヨーロッパ内の戦いであるとして「孤
立主義による中立を守り参戦しなかったのです。」
これが伝統的なアメリカの「孤立主義であり、ヨーロッパの政治体制、哲学思想か
らの決別の意思表示」だったのです。
そしてその根底には「アメリカ独特のプラグマチズム哲学の興隆」とヨーロッパの
政治経済体制・哲学の権謀術策、複雑さを避け、人間一人一人の自由と平等の理想
主義社会を目指し大衆に根ざす単純で分かりやすい思想を根拠としたアメリカ国内
における経済社会の圧倒的な進歩があったのです。
また東洋の中では日本によって特に発展した「実学」や「陽明学」の思想がアメリ
カで発展したプラグムチズムの思想と類似しているのは極めて心強く、私の考え方
そのものの信憑性を助けてくれていると確信しています。
さてブラグマチズムの大成者はデューイであり彼の実践主義、行動主義の根本は自
然主義、道具主義(実利主義とも言われ人間の生活にとって真に役に立つものを善
とする立場)であった。
人間の持つ動物的部分と精神的知的な部分を厳格にそして徹底して分けて理解する
伝統的なヨーロッパの二元論哲学に対して、人間のあらゆる文化的精神的行為は自
然的生物学的なものから発し、それとの連続性の上に成り立っていると主張し、「進
化論」(人間の知性は人間がよりよくその環境に適応し、よりよい生活を営むための
手段)という科学的根拠をこの哲学の中に導入し、現代にもまた未来にも通用する
「正に人間にとって真に役に立つ哲学」としてブラグマチズムをアメリカ哲学とし
て大成したのであります。
知性と理念を高らかに歌い上げるヨーロッパの指導者と異なりアメリカ大統領が
「家庭や家族の重要性」を常に説く動物学的・自然主義的アプローチはこのアメリ
カ哲学の影響が極めて大きいのです。

さて後段で述べるように昭和16年12月8日(日曜日)早朝 中立を守っていた
アメリカは日本によって何の前触れもなく事前の宣戦布告も無しで真珠湾を奇襲攻
撃され、たった一日でアメリカ太平洋艦隊は壊滅状態になり、アメリカ軍人や市民
2000人以上が死亡したのです。
ヨーロッパ戦域でのナチスのヒットラーが1939年(昭和14年)9月に電撃的
なポーランド侵攻を果たし東ヨーロッパを占領し、さらにフランスを攻撃しこれを
降伏させ全ヨーロッパを占領し、さらに1940年(昭和15年)8月アメリカの
母国イギリス攻撃つまりバトルオブブリテンを開始しイギリスに甚大な被害を出し
た段階でも、アメリカは孤立主義の伝統からルーズベルト大統領の意図に反して国
民と議会の反対により中立を守り参戦していなかったのです。
ついで1941年(昭和16年)6月にヒットラーは独ソ不可侵条約を破り電撃的
な独ソ戦を開始したがこの段階でもアメリカは参戦していなかったのであります。
現代では好戦的とすぐに日本の文化人の攻撃の的となるアメリカと同一国であると
は考えられない状況だったのです。
ヨーロッパの戦いである第一次世界大戦でも結局参戦せざるを得なかったアメリカ
の中立維持はヨーロッパ体制との決別を決意していたアメリカ国民と議会の意志表
示だったのです。
そのアメリカを戦争に引きずり出したのは、紛れもない我々日本人だったのです。
イギリスを助けたかったルーズベルトの意図によるアメリカの挑発にもかかわらず
ドイツもイタリアも一度もアメリカを攻撃していないのに、1941年(昭和16
年)12月8日、宣戦布告の事前通知も行わず真珠湾奇襲攻撃(奇襲攻撃とは体裁
がよいが第3回ハーグ条約の国際法違反の武士道では最も忌み嫌う闇討ちであった。
この問題は事前に国際法違反になるとして事前の宣戦布告を強く主張していた昭和
天皇の意向に反し、意図的であったかどうか不明であるが、結果として軍務官僚が
中心になり強行したものであった。
もっとも国際法違反は日本だけではないが、だからといって許されるわけではない)
によってアメリカ太平洋艦隊を壊滅させ、アメリカ軍民を2000名以上殺害して
しまったのである。
戦術的には大勝利であったが、戦略的には全アメリカ国民とアメリカ議会を激怒さ
せ徹底抗戦を決意させた大失敗であった。
これによってアメリカのルーズベルト大統領に参戦の大義名分を与えてしまい、た
った一日で参戦反対の国論は雲散霧消し翌12月9日にアメリカは対日、対独、対
伊への宣戦布告を行い、第2次世界大戦に参戦したわけであります。
つまりドイツ人とイタリア人に対してはアメリカが戦争を仕掛けたのであってドイ
ツとイタリアが戦争を仕掛けたわけではなかったのです。
さらに日本の無警告先制攻撃の戦訓をふまえアメリカの大戦後の核戦略は核抑止論
を基本としつつもつねに他国の先制攻撃にたいする大量報復核戦略を保持しており、
この意味でも日本人が単純にアメリカをアメリカ帝国主義などと非難しえないこと
に注意しなければならない。
つまり第二次世界大戦の初期の2年3ヶ月間も孤立主義に基づく中立を堅く守り第
二次世界大戦へ参戦を拒否していたアメリカ国民、議会は日本の真珠湾攻撃に激怒
したった一日で対日、対独、対伊(日独伊三国同盟に対する)への参戦を決定し、
ルーズベルト大統領の意志に基づく第二次世界大戦へのアメリカの参戦が確定した
のです。
そして第二次世界大戦後アメリカでは孤立主義、不干渉主義が世界にどれほどの厄
災(全世界で5000万人以上が戦死した)をもたらしたかの国民的反省から多国間の
相互安全保障、早めの予防行動基準、さらに他国への民主主義の普及への全面的な
努力が確立していったのであります。
最後に江戸時代末期日本を植民する意志は全くないが、ヨーロッパ列強に日本を蹂
躙されることを嫌い且つアメリカの日本に対する貿易権益を確保したい独立後間も
ないアメリカのペリー提督との間で開国を決断した江戸徳川幕府の国際情勢の把握
は極めて適切であったといって良い。
明治維新の成功の一部は「植民意志の無かった」アメリカとの最初の出会いという
幸運にも支えられていたといって過言ではないのです。
板垣退助が親米的な自由民権運動を提唱したこともその現れと思っています。
さらに名もないアジアの弱小国であった日本を日露戦争であれほど助けてくれたア
メリカとアメリカのユダヤ資本の働きや、第一次世界大戦ではアメリカ側について
大戦に勝利した親米路線の大切さを忘れ、第二次世界大戦では軍務官僚が中心とな
り官民のエリートがヨーロッパ列強の拡張主義をアジアで模倣しようとして「鬼畜
米英」をスローガンにアメリカを敵に回した失敗と、今回の平成元年のヨーロッパ
列強を模倣した日本の消費税制の導入が景気の大停滞を招き、アメリカ経済の急回
復のきっかけになったことには、歴史の皮肉と輪廻を感じています。

さて私は本書でアメリカを賛美した礼賛本にするつもりもありませんし、無定見に
模倣しろというつもりは全くありません。
しかし私が何故アメリカを対象として、その良いところを取り入れ、日本の国民性
になじまないものは取り入れないとする対象として考え、何故ヨーロッパを対象と
して考えないのかは次のような理由なのです。
それはアメリカの社会経済の内容や動きが「非常に分かりやすい」(これは進化の環
境つまり淘汰の担い手が国民大衆であるという単純で明快な原則に忠実に社会を作
り上げた)ことと「進化システムの原則が社会経済の隅々に行き届いていること」
であります。
そしてそれをシステム条件として支えているのが、社会経済の進化の「環境つまり
淘汰の担い手にあたる国民大衆に全ての最終決定権をゆだねている社会」を維持す
るためにアメリカは憲法で保証している個人の「自由」(市場に誰でも参加出来ると
言う意味で自由であり、参加を制限する自由は徹底的に規制する)と「平等(対等
な)」さらに「国民の幸福を追求する権利」を額面通り実現しようとする「強い意
志」があるからであります。
それに比べてヨーロッパは確かに先進的な理念を次々と打ち上げてはいますが、逆
に「複雑で分かりにくく」「結果が明確に出せない」弱点があり、その原因は人間
社会の進化システム環境つまり淘汰の担い手である国民大衆に実質的な最終決定権
をゆだねていないエリート主導国家だからであります。
もちろん形式的には選挙や国民投票を行いますが、日本と同じく世論より政党支配
による国会の議決を優先し、既成事実化やエリートの言論誘導が激しい状況があり
ます。 これは報道機関が政治的報道について戦闘的でないことにもよります。
したがってヨーロッパをモデルの対象とすることは、選ばれたリーダーによって政
策が極端にブレる上、日本と同じく進化が遅いので参考にならないと考えているの
であります。
そしてアメリカを対象にする最大の理由は企業を経営指導する立場から言うと、
済的に世界最強国のアメリカを日本が凌駕するためには、
まず第一にトップを走る
アメリカそのものの長所を学びそして資源が無い日本を世界一の経済力と世界一の
科学技術保有国へ育て上げることが、結果として環境にやさしく自然を維持しなが
ら日本の本質的な競争力を高め生存の維持を果たせると確信し、日本国民一人一人
の能力を素直にそれに向かって高めるために国民を信じ人間を信じて進化システム
に未来を委ねることが最も近道であると考えているからであります。
しかしアメリカをモデルの対象にしたとしても、アメリカは企業の所有者つまり処
分権者は「株主」であると「法的」側面を強調しすぎ、意図的に見た目に進化の早
い資本主義を作りあげていたり(実際に生産に携わっているのは、社長以下の労働
者であるという企業という存在の人間的な面の現実を軽く見過ぎている)、勤労所
得よりキャピタルゲイン(株の売却益)を子供に教育するなど根本的に「勤労の重
要さ」を軽視しているとしか見えないアメリカの社会風潮には疑問を感じています。
しかしながら手段としての「資本」に徹底して依存することは、利潤動機以外の人
間の思惑が入る余地を少なくし、確実で、理解しやすく、見た目の進化が早いシス
テムを構築する事が出来ることは事実であります。
したがってアメリカがこのモデルをグローバル・スタンダードとして押し進めるこ
とに異議を唱えるものではありません。
しかし私は経済の需要と供給(企業)に直接携わっているのは人間であるという「人
間的側面」を「資本で割り切る」ことには、強い問題意識があり、日本はこの部分
は100%取り入れてはいけない部分であると認識しています。
つまり「資本はあくまでも手段であって、目的ではない」という基本的立場を堅持
して、見た目の進化は少々遅くとも「自己の内なる力による勤労の重要さ」を意識
した「資本に過度に依存しないで」確実に進化することが可能な日本的モデルつま
りアジアにおけるローカル・スタンダードを作り上げるべきと考えています。
アメリカのように過大な資本が集中して、強大な生産力(農業も含めて)を持つ国
家が、自国の消費を自国で生産できない事実(膨大な貿易赤字の事実**但しこれ
は過度なドル高政策が原因かもしれない)を考えると、この資本の力学に全てを依
存する思想は必ずしも正しくないのではないかと思うからであります。
日本の膨大な貿易黒字は「資本の力学を十分活用した結果ではなく、勤労を大切に
考える国民感情と思想の大切さを表しておりそれが競争力の源泉になっている」と
実感しています。
しかし過度の貿易黒字赤字は為替相場を購買力平価へ近づける努力を無にする為、
国内における「産業政策の基本となる消費者、労働者、企業家にとって適正な価格
形成が出来なくなる為、産業構造の進化に大きなゆがみが出来て極めて望ましく無
い。」
そこで為替相場を購買力平価へ近づけるための貿易収支ゼロ政策は国家が真の競争
力を維持する為に果たすべき経済ルールにおける極めて重要な目標になるのであり
ます。
さて資本は「株式」と言ったり「出資」と言ったり言い方は色々ありますが、所詮
は単に紙に印刷した証券に過ぎず、それ自体では物々交換の対象にも出来ない何の
経済的価値の無い物であり(物々交換経済でも商品は物々交換が可能な経済的価値
がある)、これも同じく紙に印刷された紙幣というそれ自体何の経済的価値のない
「カネ」との交換で始めて効力の生ずる人工的で無機的な法的システムでしかない
ので、それゆえ資本は感情を持たずその力学のおもむくまま効率的な手段として作
用する効果がありますが、本当の意味で生産性と競争力が育つかは疑問です。
本家のアメリカの貿易赤字が一向に減少しない原因はまさに「総合的な競争力の欠
如」か「不合理なドル高」が原因なのです。
これに対して生産技術を持っている人間、厳しく鍛えられた経営能力や技術を持っ
た人間は動物的であり有機的であり根元的であり無限の経済的価値を保有しており、
「これらの人間の意志は常に尊重されなければならない」原則を日本モデルは立脚
すべきであります。
それでこそ資本におびえたり追従しない良い感情を持った人材が生まれ育ち人間の
心の琴線に触れた発展つまり利己的な行動だけではない利他的行動を調和良く含ん
だ行動のとれる国民が育つと考えています。
したがって日本モデルの立案においては、経済問題において資本中心のグローバル
・スタンダードの基本は認めつつ、株主の会社存続に影響のある重大な権利行使に
当たっては会社所属の「経営者および労働者である人間」の「意志」も尊重する雰
囲気と企業慣習の醸成が大切と考えています。
システムとしは法的に細かな規制をすることはできるだけ避け、そのような趣旨の
包括規定または宣言規定のみで株主と経営者と労働者の自由な話し合いが行えるだ
けでも十分と考えています。
そしてこまかな規定はそれらによって生じる自由な協議や話し合いの長年の積み重
ねの中から、すこしづつ経験的に帰納的に作られていくのが良いと考えています。
会社の不良債権など経営内容を隠蔽しようとする体質は、情報公開システムの一環
として改善していくのが基本であり、それとは別に株主の一方的な利害によって、
会社という人間の集団組織が物の売り買いと同じように扱われる歯止めの無い思想
(株式市場における通常の株売買は何の問題もないが)は、その会社に一生をかけ
ている人間の人間性にとってあまりにも重大だからであります。
このように資本主義は人間の幸福に役立つために存在しなければならず、歯止めの
ない資本主義的手法は決して真の意味の人間の幸福には役立たないと考えるからで
あります。
またアメリカが強力に進めている自由貿易体制は大きな国際的な副作用を軽視しす
ぎていること、さらに世界のリーダーとして環境問題にもう少し力を入れるべきな
どの問題点があると理解しています。
しかしながら日本にとって「足りない物、良いものは取り入れる」と言ったプラグ
ムチックな考え方(実学や陽明学から考えても)は昔から日本に定着もしていたし
「敵を知り、己を知らば100戦危うからず」のことわざも存在しているからです。
現代の日本の未曾有の経済不況は小手先ではなく物事を根本的に見直さなければ解
決出来ないと考えているのです。
私が現状でアメリカ経済の弱点と考えているのが税率10%の小売売上税(日本の
消費税と全くことなり一部食料品を除く小売業・飲食業だけに課税される税**卸
売業、製造業、建設業、一部サービス業など大部分の業種には課税されない)とい
う地方税である州税の存在です。
もし日本が消費税を廃止し、小売売上税すらも採用せず人間の進化の源泉である消
費に規制を加えない直接税中心国になれば人間の本能によって、わずかづつ消費は
回復し時間は掛かっても人口減を乗り越えて再度アメリカを追撃するチャンスを得
られると確信しているからであります。しかも扶養家族を多く抱えると生活コスト
消費が膨大になるのに、生活コスト消費が極めて低くできる単身者の何倍も支払わ
なければならない消費税が廃止され、扶養家族が多くなると税が減少する所得税・
市県民税中心になれば、家族の意義も高められ少子化の歯止めの一つになることは
確かであります。このように現状は家族の競争力が税によつて極めて競争上不利に
なっているのです。
それは平成元年直前の日本には消費税も小売売上税も無く高級品に対して個別間接
税が若干あっただけなのです。
それまで日本は消費を根本的に規制する間接税がなかった為に当時日本はアメリカ
を抜き去る勢いの世界一の経済大国と表されるに至ったのであります。
もちろん財政は当時大幅な黒字を記録したのであります。
それが平成元年消費税を導入しアメリカの小売売上税よりはるかに強力な全業種対
象の選択余地のない消費規制税制を導入してからこの長期不況が始まり、経済が悪
循環に転落してしまったのです。
それに引き換えアメリカは目の上の日本経済転落とともに、強力な競争相手が存在
しなくなった為アメリカへ世界の富が集中し現在の繁栄の遠因になったのです。
しかし今後の日本の税制を考える場合、消費規制の効力が弱いといっても税率8.
25%の小売売上税の存在はアメリカ経済の需要(消費)増加への規制要因として
最大の弱点と言っても良いと考えています。

もちろん環境問題的に考えれば最終小売有体物だけに課税する小売売上税はサービ
ス業への消費の誘導に最適との考えもありますがやはり消費を規制することには変
わりありません。
つまり善悪の判断をせずに一律ある部門に消費規制を加えることが自由な選択を原
動力とする進化システムにとって悪影響があるのではないかとの疑念があるからで
あります。
したがって日本が全商品対象の消費税を廃止し「国民生活に真に役立つ個別課税理
由がはっきりしている間接税のみを存続させ、直接税制中心で税制を再構築すれば」、
2−3年で経済は回復軌道に乗り、合わせて合計特殊出生率が徐々に改善し10年
−20年でまたアメリカとの本格的な経済競争が可能になると考えています。
つぎに私が日本の方が有利と考えているのが、初等・中等教育の充実と、末端まで
情報の伝達スピードが速い、すそ野の広い大衆段階のレベルの高さであります。
つまり日本人は画一的と良く言われていますが消費の面で見ると私は全くそうは感
じていない点です。
そう感じているのは頭の中でものを考えるエリートだけであります。
自動車で言えば私の推測ですが日本は世界一DOHCエンジン搭載の乗用車が多く、
公道を世界一ターボエンジン乗用車が走り、また雪が降らない東京にやたらと四輪
駆動者が走り回っている国なのです。
そしてIBMパソコンが世界標準であり世界中で主流であったのについ数年前まで
PC98という日本独自のパソコンがシェアーの50%を超えており(こんな国は
なかった)さらに現在ではWINDOWS95/98/NTが世界標準OSなのに
日本では非windowsであるアップル(マッキントッシュ)コンピューターが
根強い人気を保ちまたLINUXの人気も高く、さらに一時アメリカとの貿易摩擦
の影響で普及が頓挫してしまった極めて優秀な日本国産リアルタイムOSであるT
ORONも「素晴らしいリアルタイム性を持ちOSの実身と化身の機能を利用した」
携帯電話やPHSなどの通信分野でしぶとく生き残るなど、それらを「選択」する
超個性的とは言えないのまでも画一的ではない個性豊かなレベルの高い消費者の存
在こそ日本の強みなのです。
結局のところ日本経済の潜在的強さは、個性豊かでレベルの高い商品を求める消費
者の存在とそれを低価格で生産しうる生産技術や労働者の存在こそがアメリカをし
のぐ有利な点であるのです。(だからこそ環境にやさしい他国経済にも迷惑をかけ
ない科学技術大国への基本要因は整っているのです。)
ただ足りないのはこの労働者(企業)と消費者つまり人と人をつなぐ生産と消費シ
ステムに経済発展の進化システムを基本的に阻害する大きな二つの要因つまり一つ
は政党や派閥による国会議員支配が強烈でありフェアーな自由と対等な平等と幸福
を追求する権利に基礎を置く税の負担者と政策の受益者という自動均衡作用を持つ
「国民の意志が国会議員を通じて正確に国会に反映するシステムになっていない点」
と「消費税という最悪の消費増加抑制規制システム」を市場経済システムへ組み入
れられていることなのです。
それこそが経済が不況から抜け出せない原因であり、豊かな消費と環境にやさしい
科学技術大国へなれない理由であり、エリートは猛烈に反省すべきと考えているの
です。
最後にアメリカの政党の組織支配の無い政治形態は極めてすばらしい制度であるが、
余りにも選挙における選挙区が大きすぎる為、選挙費用が莫大にかかり選ばれた大
統領や国会議員に対する献金者の影響力が強すぎる点であります。
つまり政党支配の影響力は小さいにしても、献金者の影響力から政治が逃れられず
アメリカでは特に経済界や労働界の影響力が強すぎる政治的判断が多すぎる(たと
えばエネルギー消費規制税制などが進展しない)ことが逆にアメリカ国民の進化の
方向性を捻じ曲げかねず、これが消費の方向性に悪影響を与えると感じています。
その点日本の選挙制度も欠点は多いが(特に政党を選ぶ比例選挙の存在や選挙期間
の短さは最悪)基本となる選挙区選挙の選挙区の広さは非常に妥当ではないかと考
えています。
政治が妥当であれば消費の増加の方向性も結果として種の保存本能を持つ人間であ
る国民意志が素直に働き正しくコントロールできるようになるのです。

さて本書はアメリカ経済を目標とし、ヨーロッパ経済を目標としていません。それ
はアメリカ経済の持つ原始性こそが経済発展の原点と考えるからであり、ヨーロッ
パの持つ理念性の強い経済は結局のところ原始性を色濃く残す経済に勝てないと考
えるからです。
その最大のポイントは人間が進化システムの中で存在している原始性を残す社会的
動物であるという現実です。
蟻や蜂などの社会的動物が何故利己的行動と利他的行動を調和良くとり地下や地中
に大帝国を作り(人間の街づくりと同じように)、種類によっては作物を栽培し、
奴隷を確保し働かせたり人間の経済活動の結果と似たようなことをするのか、逆に
犬や猫さらにオラウータンやチンパンジーがこのような蟻や蜂よりはるかに知能の
発達した動物にかかわらず蟻や蜂のような社会的行動をとらないのかは、ひとえに
その動物、動物が固有に持つ遺伝子の発現結果に他ならないからであります。
蟻や蜂が科学技術を開発できる遺伝子と能力を持っていれば、人間をしのぐ経済大
国の支配者になっていたかもしれないのです。
人間の持つ科学技術開発能力と利己的遺伝子の発現が利己的行動と利他的行動をも
たらしそれが経済活動を誘発しているのは明かであり、結局の所人間の営む経済活
動の根本は人間の遺伝子の発現結果というしごく本能的で原始的な生物学的側面を
持っているからであります。



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